《あつばひ》を塵取の中に握り込むやうなことをしたが、畳の上にあちこち黒焦げが残つた。私は真赤に顔を染めて雪子の父に謝《あやま》つた。
 遂《つひ》に私は無我夢中に逆上して、家へ出入りするお常婆を介して、正式に許嫁《いひなづけ》の間にして貰へるやう私の父母に当つて見てくれと頼んだ。一方私は俄《にはか》に気を配つて父や母を大切にし出した。お常婆は雨の降り頻《しき》る或晩、弓張提灯《ゆみはりぢやうちん》など勿体《もつたい》らしくつけて、改まつて家へ来た。
「恥ぢを知れ!」
 母はお常婆を追ひ返すと、ばた/\走つて来て私の肩を小突き、凄い青筋をむく/\匐《は》はせ眼を血走らせて、さも憎々しげに罵つた。
「どうも、此頃、様子がへん[#「へん」に傍点]と思うちよつたい。われや、お祭にもよばれて行つたちふこつちや。お常婆に頼うだりしち、クソ馬鹿!」
「お母《つか》ア! わツしや、ホトトギスの武夫と浪子のやうな清い仲にならうと思うたんぢや。若い衆のとは違ふ。悪いこつちやない!」と、私は室の隅に追ひすくめられ乍らも、余りの無念さに勃然として反抗した。
「えーい、何んぢやと、恥ぢを知れ!」と、母は手を上げて打たうとした。
 父の不賛成は言ふまでもなかつた。曾《かつ》て雪子の父と山林の境界で裁判沙汰《さいばんざた》になるまで争つたのだから。でも固く口を緘《とざ》してゐた。二三日したお午《ひる》、果樹園から帰つた父は裸になつて盥《たらひ》の水を使ひ乍ら戸口に来たきたない乞食《こじき》を見て、「ブラ/\遊んでをる穀《ごく》つぶしめア、今にあん通りになるんぢや」と私に怖《こは》い凝視を投げて甲走《かんばし》つた声で言つた。即座に母が合槌《あひづち》を打つた。下男も父母に阿《おもね》つた眼で私を見た。私は意地にも万難を排し他日必ず雪子と結婚しようと思つた。さう心に誓つてゐて、私は自棄の気味と自《おのづ》からなる性の目覚めとで、下女とみだらな関係を結んだ。入り代りに来た、頬の赤い、団子鼻の下女の寝床に、深夜私は蟹《かに》のやうに這《は》つて忍び込んだが、他に男があるからと言つて、言ひ寄つた私に見事|肘鉄砲《ひぢでつぱう》を喰はした。男の面目を踏み潰された悔しさから私は、それならせめて贈物だけでも受けてくれと歎願し、翌日は自転車に乗つて町へ買ひに行き、そつと下女に手渡すと、下女は無愛想にボール箱の蓋を開け、簪《かんざし》をつまみ出し、香水の瓶をちよつと鼻の先に当てて匂ひを嗅ぐと、礼も言はずに戸棚の中に蔵《しま》つた。
 そんなことも忽ちバレてしまつた。最早私は、家のものからも、近所の誰からも軽蔑された。道を歩けば、子供でさへ指を差して私のことを嗤《わら》つた。私は道の行き過ぎに私を弥次る子供が何より怖くて、子供の群を見つけると遠廻りしても避けるなど、日々卑屈になつて行つた。
 二年の月日が経つた。それまで時をり己が変心を悔いたやうな詫《わ》びの便りを寄越してゐた伊藤が、今度中学を卒業し、学校の推薦でK市の高等学校へ無試験で入る旨を知らせて来た。私が裏の池のほとりにつくばつて草刈鎌を砥石《といし》で研《と》いでゐるところへ、父はその葉書を持つて来て、
「われも、中学を続けときや、卒業なれたのに、惜しいことをしたのう。半途でやめて、恥ぢばつかり掻《か》いて……」と、如何にも残念さうに言ひ放つて、顔を硬張《こはゞ》らせ、広い口を真一文字に結んで太い溜息を吐いた。
 徴兵検査が不合格になると私はY町の瓦斯《ガス》会社の上役の娘と結婚した。中学に入学した折、古ぼけた制服を着た一人の生徒の、胸のポケットの革の鉛筆|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さし》に並べて※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した、赤や青や紫やの色とり/″\の鉛筆と、それ等の鉛筆の冠つた光彩陸離たるニッケルのカップとが、私の眼を眩惑《げんわく》させたのであつた。その生徒は英語が並外れて達者なので非常な秀才だらうと驚きの眼をもつて見てゐたのに、後で分つたがそれは落第生であつた。私の妻はその落第生の姉であつたことを知つて、くすぐつたいやうな妙にイヤな気がした。それに何んといふ手落ちな頓馬《とんま》なことであつたであらう、婚礼の晩の三三九度の儀式に私はわなわな顫《ふる》へて三つ組の朱塗の大杯を台の上に置く時カチリと音をさせたが、彼女は実に落着払つてやつてのけたのも道理、彼女は三三九度がこれで二度目の出戻りであつたことを知つたのは子供が産れて一年もしてからであつた。私は彼女の鏡台を足蹴《あしげ》にして踏折つた、針箱を庭に叩きつけた、一度他家に持つて行つたものを知らん顔して携へて来るなど失敬だと怒つて。さうして性懲《しやうこ》りのない痴
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