《おさげ》に触れたり、机の蓋《ふた》をはぐつてお清書の点を検べたりした。何んと言つても雪子は私一人のものであつた。盂蘭盆《うらぼん》が来て十王堂の境内からトントコトコといふ音が聞え出すと、私はこつそり家を抜け出し山寄の草原径を太鼓の音の方に歩いて行つて、其処で人目を忍ぶやうにして見た、赤紐で白い腮《あご》をくゝつて葦《あし》の編笠《あみがさ》を深目にかぶつた雪子の、長い袖をたを/\と波うたせ、若衆の叩く太鼓に合せて字村《あざむら》の少女たちに混つて踊つてゐる姿など、そんな晩は夜霧が川辺や森の木立を深くつゝんでゐて、家に帰つて寝床に入つてからも夜もすがら太鼓の音が聞えて来たことなど、年々の思ひ出が頻《しき》りに懐《なつか》しまれるに従ひ、加速度に奇態な、やる瀬ない、様々な旋律が私の心を躍動させた。これが恋だと自分に判つた。私は用事にかこつけて木槿《むくげ》の垣にかこまれた彼女の茅葺《かやぶき》屋根の家の前を歩いた。彼女を見たさに、私は川下の寺へ漢籍を毎夜のやうに習ひに行つてはそこへ泊つて朝学校へゆく彼女と路上で逢ふやうにした。下豊《しもぶくれ》の柔和な顔であるのに私に視入られると雪子は、頬をひき吊り蟀谷《こめかみ》のかすかな筋をふるはせた。この恋の要求が逸早《いちはや》く自分の身なりに意を留めさせ、きたない顔を又気に病ませた。それまで蔭で掛けては鏡を見てゐたニッケルの眼鏡《めがね》を大びらに人前でも掛けさせた。ちやうど隣村へ嫁入つてゐる姉の眼が少し悪くて姑《しうと》の小言の種になつてゐた際で、眼病が一家の疾のごと断定されはしまいかとの虞《おそ》れから、母は私の伊達《だて》眼鏡を嫌ひ厭味《いやみ》のありつたけを言つたが、しかし一向私は動じなかつた。私は常に誰かに先鞭《せんべん》をつけられさうなことを気遣つて、だから年端《としは》のゆかぬ雪子にどうかして一日も早く意中を明かしたいと、ひとりくよ/\胸を痛めた。好都合に雪子の母がひそかに私の気持を感附いてくれ、それとなく秋祭に私を招いて、雪子にご馳走のお給仕をさせた。下唇をいつも噛む癖があつて、潤つた唇に薄桃色の血の色が美しくきざしかけてゐる雪子は、盆を膝の上にのせて俯向いてゐた。お膳が下げられて立ち際に私がかゝへた瀬戸の火鉢が手から滑り落ちて粉微塵《こなみぢん》に砕けた。雪子は箒《はうき》と塵取とを持つて来てくれ、私は熱灰
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