からぴか/\磨いた靴を穿いて通学してゐた。朝寄宿舎から登校する私を、それまではがや/\と話してゐた同輩達の群から彼は離れて、おーい、お早う、と敏活な男性そのもののきび/\した音声と情熱的な眼の美しい輝きとで迎へた。私は悩ましい沈欝《ちんうつ》な眼でぢつと彼を見守つた。二人は親身の兄弟のやうに教室に出入りや、運動場やを、腕を組まんばかりにして歩いた。青々とした芝生の上にねころんで晩夏の広やかな空を仰いだ。学課の不審を教へて貰《もら》つた。柔道も二人でやつた。君はそれ程強くはないが粘りつこいので誰よりも手剛《てごは》い感じだと、さう言つて褒《ほ》めたと思ふと、彼独得の冴《さ》えた巴投《ともゑな》げの妙技を喰はして、道場の真中に私を投げた。跳ね起きるが早いか私は噛《か》みつかんばかりに彼に組みついた。彼は昂然《かうぜん》とゆるやかに胸を反《そ》らし、踏張つて力む私の襟頸《えりくび》と袖とを持ち、足で時折り掬《すく》つて見たりしながら、実に悠揚《いうやう》迫らざるものがある。およそ彼の光つた手際は、学問に於いて、運動に於いて、事毎にいよ/\私を畏《おそ》れさせた。このやうな、凡《すべ》て、私には身の分を越えた伊藤との提携を、友達共は半ば驚異の眼と半ば嫉妬《しつと》の眼とで視《み》た。水を差すべくその愛は傍目《はため》にも余り純情で、殊更《ことさら》らしい誠実を要せず、献身を要せず、而《しか》も聊《いさゝか》の動揺もなかつた。溢《あふ》るゝ浄福、和《なご》やかな夢見心地、誇りが秘められなくて温厚な先生の時間などには、私は柄にもなく挑戦し、いろ/\奇矯《きけう》の振舞をした。
 Y中学の卒業生で、このほど陸軍大学を首席で卒業し、恩賜の軍刀を拝領した少佐が、帰省のついでに一日母校の漢文の旧師を訪《たづ》ねて来た。金モールの参謀肩章を肩に巻き、天保銭《てんぽうせん》を胸に吊つた佐官が人力車で校門を辞した後姿を見送つた時、さすがに全校のどんな劣等生も血を湧かした。
「ウヽ、芳賀《はが》君の今日《こんにち》あることを、わしは夙《つと》に知つとつた。芳賀君は尤《もつと》も頭脳も秀《ひい》でてをつたが、彼は山陽の言うた、才子で無うて真に刻苦する人ぢやつた」と、創立以来勤続三十年といふ漢文の老教師は、癖になつてゐる鉄縁の老眼鏡を気忙《きぜは》しく耳に挟《はさ》んだり外《はづ》したりし乍《なが
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