て蕎麥《そば》を出されたが、私は半分ほど食べ殘した。するとZ・K氏は眞赤に怒つて、そんな禮儀を知らん人間に談話は出來んと言つて叱り出した。私は直樣《すぐさま》丼《どんぶり》の蓋を取つておつゆ一滴餘さず掻込んで謝つたが、Z・K氏の機嫌は直りさうもなく、明日出直して來いと私を突き返した。
 翌日も酒で夜を更かし、いざこれから始めようとする所でZ・K氏は、まだ昨夜の君の無禮に對する癇癪玉のとばしりが頭に殘つてをつてやれないから、もう一度來て見ろと言つた。仕方なく又次の日に行くと、今度は文句無しに喋舌《しやべ》つてくれた。四方山《よもやま》の話のすゑZ・K氏は私の、小説家になれればなりたいといふ志望を聞いて、斷じてなれませんなと、古い銀|煙管《ぎせる》の雁首をポンと火鉢の縁に叩きつけて、吐き出すやうに言つた。昔ひとりの小僧さんが烏の落した熟柿《じゆくし》を拾つて來てそれを水で洗つて己が師僧さんに與へた。すると師僧さんはそれを二分して小僧さんにくれて、二人はおいしい/\と言つて食べた――といふ咄《はなし》をして、それとこれとは凡そ意味が違ふけれど、他人の振舞ふ蕎麥を喰ひ殘すやうな不謙遜の人間に、どうしてどうして、藝術など出來るものですか、斷じて出來つこありませんね、と嶮しい目をして底力のある聲で言つた。さんざ油を取られたが、そんなことが縁になつてか、それからは毎日々々談話をしてくれた。するうち酒屋の借金が嵩《かさ》んで長い小説の必要に迫られ、S社に幾らかの前借をして取懸つたのが『狂醉者の遺言』といふわけである。
 私は自分の雜誌の用事を早目に片付けて午さがりの郊外電車にゆられて毎日通つた。口述が澁つて來ると逆上して夫人を打つ蹴るは殆ど毎夜のことで、二枚も稿を繼げるとすつかり有頂天になつて、狹い室内を眞つ裸の四つん這ひでワン/\吠えながら駈けずり廻り、斯うして片脚を上げて小便するのはをとこ犬、斯うしてお尻を地につけて小便するのはをんな犬、と犬の小便の眞似をするかと思ふと疊の上に長く垂らした褌《ふんどし》の端を漸《やうや》く齒の生え始めた、ユウ子さんにつかまらしてお山上りを踊り乍ら、K君々々と私を見て、……君は聞いたか、寒山子、拾得《じつとく》つれて二人づれ、ホイホイ、君が責めりや、おいら斯うやつてユウ子と二人で五老峰に逃げて行くべえ。とそんな出鱈目の馬鹿|巫山戲《ふざけ》ばかし
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