《おくて》の收穫時で田圃《たんぼ》は賑つてゐます。古くからの小作達はさうでもありませんけども、時二とか與作などは未だ臼挽《うすひき》も濟まさないうちから強硬に加調米を値切つてゐます。要求に應じないなら斷じて小作はしないといふ劍幕です。それといふのも女や年寄ばかりだと思つて見縊《みくび》つてゐるのです。「田を見ても山を見ても俺はなさけのうて涙がこぼれるぞよ」とお父さまは言ひ言ひなさいます。先日もお父さまは、鳶《とび》が舞はにや影もない――と唄には歌はれる片田の上田を買はれた時の先代の一方ならぬ艱難辛苦の話をなすつて「先代さまのお墓に申譯ないぞよ」と言つて、其時は文字通り暗涙に咽《むせ》ばれました。お父さまはご養子であるだけに祖先に對する責任感が強いのです。田地山林を讓る可き筈のお兄さまの居られないお父さまの歎きのお言葉を聞く度に、わたくしお兄さまを恨まずにはゐられません。
先日もお父さまが、あの鍛冶屋《かぢや》の向うの杉山に行つて見られますと、意地のきたない田澤の主人が境界石を自家の所有の方に二間もずらしてゐたさうです。お父さまは齒軋《はぎし》りして口惜しがられました。「圭一郎が居らんからこないなことになるんぢや。不孝者の餓鬼奴。今に罰が當つて眼がつぶれようぞ」とお父さまはさも/\憎しげにお兄さまを罵《のゝし》られました。しかし昂奮が去ると「あゝ、なんにもかも因縁因果といふもんぢやろ。お母《つか》ア諦めよう。……仕方がない。敏雄の成長を待たう。それまでに俺が死んだら何んとせうもんぞい」斯うも仰云《おつしや》いました。
咲子|嫂《ねえ》さまを離縁してお兄さまと千登世さまとに歸つていたゞけば萬事解決します。しかし、それでは大江の家として親族への義理、世間への手前がゆるしません。咲子嫂さまは相變らず一萬圓くれとか、でなかつたら裁判沙汰にするとか息卷いて、質《たち》の惡い仲人《なかうど》とぐるになつてお父さまをくるしめてゐます。何んといつてもお兄さまが不可《いけな》いのです。どうして厭なら厭嫌ひなら嫌ひで嫂さまと正式に別れた上で千登世さまと一緒にならなかつたのです。あんな無茶なことをなさるから問題がいよ/\複雜になつて、相互の感情がこぢれて來たのです。今では縺《もつれ》を解かうにも緒《いとぐち》さへ見つからない始末ぢやありませんか。
けれどもわたくしお兄さまのお心も理解
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