うに小腰を曲げ、龜の子のやうに首を縮こめて、石段の數でもかぞへるかのやうに一つ/\悄々《すご/\》と上つて行くのが涙で曇つた圭一郎の眼鏡に映つた。おそらくこれがこの世の見納めだらう? さう思ふと胸元が絞木にかけられたやうに苦しくなり、大粒の涙が留め度もなく雨のやうにポロ/\落ちた。
 其日の終列車で圭一郎は千登世を連れてY町を後にしたのである。

 千登世は停留所まで圭一郎を迎へに出て仄暗《ほのぐら》い街路樹の下にしよんぼりと佇んでゐた。そして圭一郎の姿を降車口に見付けるなり彼女はつかつかと歩み寄つて「お歸り遊ばせ。お具合はどんなでしたの?」と潤《うる》んだ眼で視入り、眉を高く上げて言つた。
「氣遣つた程でもなかつた」
「さう、そんぢや好うかつたわ」勿論|國鄙語《くになまり》が挾まれた。「わたしどんなに心配したかしれなかつたの」
 外出先から歸つて來た親を出迎へる邪氣《あどけ》ない子供のやうに千登世は幾らか嬌垂《あまえ》ながら圭一郎の手を引つ張るやうにして、そして二人は電車通りから程遠くない隱れ家《が》の二階に歸つた。行火《あんくわ》で温めてあつた褥《しとね》の中に逸早く圭一郎を這入らしてから千登世は古新聞を枕元に敷き、いそ/\とその上に貧しい晩餐を運んだ。二人は箸を執つた。
「氣になつて氣になつて仕樣がなかつたの。よつぽど電話でご容態を訊かうかと思つたんですけれど」
 千登世は口籠《くちごも》つた。
 さう言はれると圭一郎は棘《とげ》にでも掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》られるやうな氣持がした。彼は勤め先では獨身者らしく振る舞つてゐた。自分の行爲は何處に行かうと暗い陰影を曳いてゐたから、それで電話をかけるにしても階下の内儀《かみ》さんを裝つて欲しいと千登世に其意を仄めかした時の慘酷さ辛さが新に犇《ひし》と胸に痞《つか》へて、食物が咽喉を通らなかつた。
「今日ね、お隣りの奧さんがお縫物を持つて來て下すつたのよ」と千登世は言つて茶碗を置き片手で後の戸棚を開けて行李の上にうづだかく積んである大島や結城《ゆふき》の反物を見せた。「こんなにどつさりあつてよ。わたし今夜から徹夜の決心で縫はうと思ふの。みんな仕上げたら十四五圓頂けるでせう。お醫者さまのお禮ぐらゐおくにに頼まなくたつてわたし爲《し》て見せるわ」
「すまないね」圭一郎は病氣のせゐでひどく感
前へ 次へ
全19ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング