卑屈な侮《あなど》らるべき下劣な情念を押包みつゝ、この暗い六疊を臥所《ふしど》として執念深く生活して來たのである。彼はどんなにか自分の假初《かりそめ》の部屋を愛し馴染《なじ》んだことだらう。罅《ひゞ》の入つた斑點に汚れた黄色い壁に向つて、これからの生涯を過去の所爲と罪報とに項低《うなだ》れ乍ら、足に胼胝《たこ》の出來るまで坐り通したら奈何《どう》だと魔の聲にでも決斷の臍《ほぞ》を囁かれるやうな思ひを、圭一郎は日毎に繰返し押詰めて考へさせられた。
圭一郎は先月から牛込の方にある文藝雜誌社に、この頃偶然事から懇意になつた深切な知人の紹介で入社することが出來た。彼の歡喜は譬《たと》へやうもなかつた。あの三多摩壯士あがりの逞《たくま》しく頬骨の張つた、剛慾な酒新聞社の主人に牛馬同樣こき使はれてゐたのに引きかへて、今度はずゐぶん閑散な勿體ないほど暢氣《のんき》な勤めだつたから。しかしそれも束の間、場慣れぬせゐも手傳ふとは言へ、とかく世智に疎《うと》く、愚圖で融通の利かない彼は、忽ち同輩の侮蔑と嘲笑とを感じて肩身の狹いひけめを忍ばねばならぬことも所詮は致し方のない悉《みな》わが拙《つたな》い身か
前へ
次へ
全42ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング