降り立つた。
 晝食のをり鎌倉驛前の運送屋の店頭で、避暑地御引上げの方は何卒當店へ――といふ立看板を見て、私は妙にさびしかつたが、ここに來て見て、やはり、さしもの由比ヶ濱海水浴場も、眼前に凋落を控へてゐることが感じられた。今日明日にも引上げなければならぬ人が多いのではあるまいか。それゆゑ、夏の享樂場、戀の歡樂場に、焦躁が燃え立つてゐると見るのは、私の主觀のせゐばかりであらうか。あゝ何ぞ來ることの甚だ遲かりし――私は、潮風に當りたいため帽子を脱ぎ、ユキは蝙蝠を疊み、並んでそぞろ歩いた。
「あなたも、ちよつと入つてごらんなさいな。海水着は借りられますよ。泳げるでせう?」
 ユキの言葉は誘惑である。そして、それに關聯して、自分は十二三まで泳げなかつたこと、村の「賽の神」といふ淵の天狗岩の上で年上の連中の泳ぎを見てゐて、ひとりの白痴にいきなり淵の中に突き落され餘程水を飮んだこと、そんなことから泳ぎを覺え、川では相當の自信を嘗て持つてゐたことなど思ひ返したが、と言つて、眼の前の濱に押し寄す荒い波ぐらゐ、ほんの子供でさへ巧みに乘り越え、自由にあやつる技倆を見ては、私は恥づかしくて裸體になる勇氣が出なかつた。
 昆布や魚の頭が濁つた水にきたならしく打ち上げられてゐる片瀬とは異つて、ここの眞砂は穢れず、波は飽まで白かつた。片瀬では殆ど見えなかつた、縞柄の派手な海岸パラソルの點在や、模樣の美しい贅澤な海水着や、裕福らしい西洋人の家族や、すべて、アッパッパを着て丸髷に結つた五九郎の喜劇役者のやうな四十女がブランコに乘り、傍から「母ちやん、このごろ、だいぶんウマくなつたのね。」と小さな女の兒が言つてゐたやうな片瀬とは、品位、教養、階級のいづれもが立ち優れて見えた。富者が永久に貧者を輕蔑し、貧者が永久に富者を嫉む本能を、そして下賤な物に深い同感同情を持ち得ない自分を其儘受容れた。
 二人は、無言のまゝ、五歩行つては立ち留り、十歩行つては立ち留つた。
 もう夕景が迫つてゐた。
一人はオリーブ色、一人は紅色の海水着を着た、どちらも背丈のすんなり高い若い女が、手に褐色の浮袋をかゝへ、並んで松林の中の別莊に歸つて行くのが繪よりも美しかつた。
 濱邊は、だんだんさびれて行つた。
 遙か彼方の材木座海水浴場にも夕陽が落ちた。ぎらぎら光る落日を浴びて蠢《うごめ》く人々は豆粒程に小さく見えた。
 私達も引
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