に気にもとめず、
「どうもないだろう。」と坐《すわ》ったまま廂《ひさし》の先から空を見上げて、「大丈夫やろう、あの通り北風雲《あいぐも》だから。」と言いました。
「それでも白山が見えるから、今に南東風《くだり》になるかも知れん。僕が沖を見ていたら、帆前船が一|艘《そう》、南東風《くだり》が吹いて来ると思うたか、一生懸命に福浦《ふくうら》へ入って行った。ありゃきっと暴風《しけ》になると思うて逃げて行ったのに違いなかろう。」と為吉は自信があるように言いました。
 父親はにっこり笑いました。為吉の子供らしい無邪気の言葉が、父親にはおかしい程《ほど》でした。そして、
「お前、三里も向うが見えるかい?」とからかうように言いました。
 福浦というのは、為吉の村の向岸《むこうぎし》の岬《みさき》の端《はし》にある港で、ここから海上三里のところにあるのでした。
 為吉の村は、能登国《のとのくに》の西海岸にある小さな漁村で、そして父親は貧しい漁夫《りょうし》でした。村の北の方は小高い山を負《お》い、南に海を受けているので、南東《くだり》の風が吹くと、いつも海が荒れるのでした。漁舟《りょうぶね》や、沖を航海している帆前船などが難船して、乗組の漁夫《りょうし》や水夫が溺死《できし》したりするのは、いつもその風の吹く時でした。そしてその風の吹く時には、きっと福浦岬から続いた海中に加賀《かが》の白山がくっきりと聳《そび》え立っているのが見えるのでした。その外《ほか》の時には大抵《たいてい》、空の色合《いろあい》や、雲の具合で見えないのが普通でした。
「白山が見えると、南東風《くだり》が吹く、海が荒れる、船が難破する、そして人が死ぬ。」
 こんな考が、村の人達の話や、自分の実見やらで、いつの間にか為吉の頭に出来あがっているのでした。つい一カ月ばかり前にも、村の漁舟が一艘沖から帰りがけに、その風に遇《あ》って難破し、五六人の乗組の漁夫《りょうし》がみんな溺死して、その死体がそれから四五日もたってから隣村《となりむら》の海岸に漂著《ひょうちゃく》しましたが、その日も矢張《やは》り朝から白山の姿が物すごく海の中に魔物のように立っていました。この新しい恐ろしい出来事が為吉の頭にきざみ込まれているのでした。彼は今日《きょう》学校から帰って、直《す》ぐ浜へ遊びに行ったのですが、ふといつもの福浦岬の端の水天
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