とを何度も/\繰り返しては言った。
「七海があんな小さな在所《ざいしょ》で神輿を買うて富来祭の仲間入をしたのは本当に偉い。己りゃ何よりそれが嬉しかった。何も祭なんか見たいことはないのじゃが、七海の神輿が出るちゅうさかいに、それを見に行ったのじゃ。……己が行ったら、お前、七海の連中が郵便局の前に神輿を下ろいて休んで居ったが、おれの顔を見るなり、「おゝ、浅次郎か能う来た」ちゅうて橋本の親爺が三升樽をやりつけて来て飲ますじゃろう、お前、そした所が、太鼓の連中も大旗の連中も皆己れの顔を知っとるもんで、「お、浅次郎、来たか/\。」ちゅうて酒を持って来て、まるで酒責にあわした様なもんじゃった。七海の連中は偉いわい、あんな小さな村しとって、これから大村と一緒に交って祭を為るかと思うと気味が宜うてなあ、そこで己りゃ二円だけ寄付してやったら、直ぐに、「金五円也……」と目録を書いて神輿の屋根に張り付けたぞや。」などと自分がどこへ行っても顔が売れて居ること、殊に七海の村人には殆ど恩人の様に思われて歓迎されるのを得意げに種々手真似などして話した。
浅七は、それから/\と巧に話の糸口を引き出した。
若い人足共の喧嘩の事、人出の多かった事、二十台あまりの神輿が並んだ時の立派さ、夕日が照り返して、錺《かざり》の金物がピカ/\と光って綺麗に見えた事などを幾度も/\繰り返した。巡査に相手になって困らせたことを如何にも得意になって話した。恭三も表面だけは如何にも面白そうな樣子をして時々調子を合せて、つとめて父の気に入りそうな事を聞いて見たりした。
父は此上もなく喜んだ。恭三達が自分の話を皆面白相に聞いて居るのを見て如何にも満足に思ったらしい。何時の間にか其処に横になって大きな鼾《いびき》をかき出した。三人して引摺る様に蚊帳の中に入れるのも知らなかった。
母は飯を食べなかった事を何度も呟《つぶ》やいた。
[#地から1字上げ](明治四十三年)
底本:「日本文學全集 70 名作集(二)大正篇」新潮社
1964(昭和39)年11月20日発行
入力:伊藤時也
校正:本山智子
2001年9月10日公開
2005年12月2日修正
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