だからとて素知らん顔して居ると思われるが心外だという父の真情からそう言ったのかも知れぬ。父は恭三一人あるために今日までどれ程母に気兼をしたか知れない。恭三はよく之を知って居た。こうして酒に酔って居る時に却《かえっ》て溢れる様に父の真情が出るのを恭三は幾度も経験して居た。或は又酔うて居るのを幸いに二人の息子に足を洗わせて、其所に一種の快味を味《あじわ》おうという単純な考からであるかも知れぬと思った。併し恭三は父が如何《いか》に酔っても全く我を忘れることはないと思って居た。他の人にはそう見えても恭三のみには如何《どう》してもそう思われなかった。無学無知な一漁夫に過ぎぬけれど酔うた時には何となく感慨の深いことを言う。父としての情は決して単なる溺愛的のものではない。淋しい様な悲しい様な哀れな父の心情が強い言葉の裏にかくれて居る。之れを恭三は能く味い知って居た。そして恐らく之を知って居るものは恭三の外にあるまい。恭三は酔うた父に対すると常に一種悲痛な感を味うのであった。今父が恭三に足を洗えと言ったが、全く彼に洗わす積りで言ったのでなかろうとは思つたものの、此の場合にうまくとりなすには如何してよい
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