一里の浜路には村の者とは誰にも遇わなかった。亭主や子供に遇わないので如何《どう》したことかと心配しながら淋しいのを堪えて小釜の森まで来た。此処は昔から狐が出るので有名な所である。六平の女房は淋しい淋しいと思いながら行くと向うの方から歌声がするので非常に吃驚《びっくり》した。そしてそれが恭三の父であったので尚更驚いた。恭三の父は足元も危い位に酔って居た。六平の女房を見ると突然、「貴様何しに来た?」と呶鳴ったので女房はヒヤッと飛び上ったそうである。子供を迎いに来たのだと言うと、「馬鹿! 今時分まで何して居るもんか、疾《と》うに帰って了った。富来にも誰も村の者は居らんさかい帰れ帰れ。」と言った。
「己りゃ今時分まで一人何して居ったと思うかい。ふむ、こう見えても一寸も酔って居らんぞ。己れはな。村の奴等が皆帰ったかどうか、ちゃーんと見極《みきわ》めて帰ってきたのじゃ、いくら酔うて居っても、おれは貴様、もしもの事があってはと思うて今まで残って居ったんじゃ。もう富来には誰も居らんぞ。さあ帰ろ帰ろ。」
六平の女房は後について歩いた。恭三の父は幾度も幾度も仆《たお》れかゝった。
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「あ、酔うた/\、五勺の酒に……
一合飲んだら…………」
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と唄うかと思うと、
「こら! 嬶さ! 六平の嚊あ! 貴様何しに来た?」といったり、「やあ、小釜の狐、赤狐! 欺されたら欺して見い。こら、貴様等に……馬鹿狐奴が、へむ。」などと出放題の事を言ったりした。
斯んな風で村の入口まで一緒に来たが、それからは六平の女房に先に帰れと言って承知しなかった。一緒に帰っては間男でもしたと思われるから不可《いけ》ないって戯談を言って、如何言っても動かなかった。こう言つて二人が争って居る所へ六平が行った。六平も種々にすゝめて一緒に連れて帰ろうとしたが、新道の橋の上に坐って居て如何しても動かなかった。多分迎いに来て貰ったと人に思われるのが気に入らぬのだろうと皆が言った。浅七が提灯《ちょうちん》をつけて裏口から出掛けたのを、母は呼止めてやめさした。十分間も経ってから父は帰って来た。
「帰ったぞ、おい旦那様のお帰りやぞ。」と上機嫌に裏口から入って来た。
「お帰り。」
と母も浅七も同時に言った。浅七は庭へ下りて洗足の水を汲んだ。
「さあ洗え。」
と父は上り
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