柄の見立てなども父がしたようであったし、肩揚げや腰揚げのことまでも父が自分で指図して母に針をとらせたようであった。私が病気した時、枕元につきっきりで看護してくれたのもやはり父だった。父は間《ま》がな隙がな私の脈をとったり、額に手をあてたりして、注意を怠らなかった。そうした時、私は物をいう必要がなかった。父は私の眼差《まなざ》しから私の願いを知って、それをみたしてくれたから。
 私に物を食べさせる時も、父は決して迂闊には与えなかった。肉は食べやすいように小さくむしり魚は小骨一つ残さず取りさり、ご飯やお湯は必ず自分の舌で味って見て、熱すぎれば根気よくさましてからくれるのだった。つまり、他の家庭なら母親がしてくれることを、私はみな父によってされていたのである。
 今から考えて見て、むろん私の家庭は裕福であったとは思われない。しかし人生に対する私の最初の印象は、決して不快なものではなかった。思うにその頃の私の家庭も、かなり貧しい、欠乏がちの生活をしていたのであろう。ただ、なんとかいう氏族の末流にあたる由緒ある家庭の長男に生れたと信じている私の父が、事実、その頃はまだかなり裕福に暮していた祖父の
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