家に引きとられた。その時は私たちは海岸に住んでいた。それは父の病後の保養もあり、弱い私の健康のためでもあったのである。
 そこは横浜の磯子の海岸だった。私たちは一日じゅう潮水に浸ったり潮風に吹かれたりして暮した。そしてその時を境として、私の肉体は生れ変ったように健康になったということである。それは私を幸福にしたのだろうか、それとも、私を来るべき苦しみの運命に縛りつけるための、自然の悪戯《いたずら》であったのだろうか、私にはわからない。
 私達の健康が恢復すると、私たちはまた引越した。それは横浜の街はずれの、四方を田に囲まれた、十四五軒一|叢《むら》のうちの一軒だった。そしてその家へ引越した冬のある雪の降る朝、私に初めての弟が生まれた。

 私が六つの年の秋頃だった――その間私は、私たちの家がむやみに引越したということだけしか覚えていない――私たちの家に、母の実家から母の妹が、だから私の叔母がやって来た。叔母は婦人病かなんか患っていたが、辺鄙な田舎では充分の治療が出来ないというので、私たちの家から病院に通うためだった。
 叔母はその頃二十二、三であったろう。顔立ちの整った、ちょっとこぎれいな娘だった。気立てもやさしく、する事なす事しっかりしていて、几帳面で、てきぱきした性質であった。だから人受けもよく、親たちにも愛せられていたようでもある。だが、いつの間にかこの叔母と私の父との仲が変になったようである。
 父はその頃、程近い海岸の倉庫に雇われて人夫の積荷|下荷《おろしに》をノートにとる仕事をしていたが、例によってなにかと口実をつけては仕事を休んでいた。そんな風だから私の家の暮し向きのゆたかである筈はなく、そのためであろう、母と叔母とは内職に麻糸つなぎをしていた。毎日毎日、母はそうして繋いだ三つか四つの麻糸の塊《たま》を風呂敷に包んで、わずかな工賃を貰いに弟を背負っては出かけるのだった。
 ところが不思議なことに、母が出かけるとすぐ、父は必ず、自分の寝そべっている玄関脇の三畳の間へ叔母を呼び込むのであった。別にたいして話をしているようでもないのに、叔母はなかなかその部屋から出て来ないのが常だった。私はこまちゃくれた好奇心にそそられないわけには行かなかった。私はついにあるとき、そっと爪立ちをして、襖の引手の破目から中を覗いて見た……。
 だが、私は別にそれ程驚かなかった。
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