もとでわがままな若様風に育てられたところから、こうした貧窮の間にもなお、私をその昔のままの気位で育てたのに違いなかったのである。
私の楽しい思い出はしかしこれだけで幕を閉じる。私はやがて、父が若い女を家へつれ込んだ事に気づいた。そしてその女と母とがしょっちゅういさかい[#「いさかい」に傍点]をしたり罵《ののし》りあっているのを見た。しかも父はそのつど、女の肩をもって母を撲《なぐ》ったり蹴ったりするのを見なければならなかった。母は時たま家出した。そして、二、三日も帰って来ない事があった。その間私は父の友だちの家に預けられたのである。
幼い私にとっては、それはかなり悲しいことであった。ことに母がいなくなった時などは一そうそうであった。けれどその女はいつとはなく私の家から姿をかくした。少くとも私の記憶にはなくなってしまっている。が、その代り私は、自分の家に父の姿を見ることもまた少なくなった。
私は母につれられて父をある家へ――今から考えて見るとそれは女郎屋である――迎えに行ったことを覚えている。そして、父が寝巻き姿のまま起き上って来て、母を邪慳《じゃけん》に部屋の外へ突き出したことをも。でもたまには父は、夜更けた町を大きな声で歌をうたいながら帰って来ることもあった。そうしたとき母は従順に父の衣類を壁の釘にかけたりなんかしていたが、袂《たもと》の中からお菓子の空袋や蜜柑の皮などを取出して、恨めしそうに眺めながらいうのだった。
「まあ、こんなものたくさん。それだのに子どもに土産《みやげ》一つ買って来ないんだよ……」
父はむろん、警察をやめていたのだ。ではこの頃彼は何をしていたのだろう。今に私はそれを知らない。ただ私は、いろんな荒くれた男がたくさん集まって来て一緒に酒を呑んだり、「はな」を引いたりしていたことや、母がいつも、そうした生活についてぶつぶつ呟き、父といさかい[#「いさかい」に傍点]をしていたことを知っているばかりだ。
おそらくこういう生活がたたったのであろう。父はやがて病気になった。そこでなんでも母の実家からの援助で入院したとかで、母はその附添いになり、私は母の実家に引きとられた。そして半年余り、私は実家の曾祖母や小さい叔母たちに背負われて過した。父母に別れたのにも拘らず、その幼い私は、この間わりあい幸福であったように思う。
父が恢復すると、私はまた父の
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