ざれば偃松帯を進み三田平の西北に下りてみれば人に逢う。劒より引返したる人なり。三田平の小屋は別山の北にあり、ここより望めば明らかなり、また尾根へ取付き進む、なかなか危険なるところ多くして痛快なり、この辺穂高に劣らず、上下を繰返しつつ急峻を攀じればすなわち求むる劒岳なり、絶頂へ着きしは三時なり。眺望雄大無比、寒暖計あり、大山神劒山の柱の下に名刺を置き万歳三唱せり。この日宮殿下御二方御登山あらせられたりと拝す。それより下れば三人の人あり、白萩より来れりと言う、平蔵を下る人なり、私は長次郎の雪渓を下る。宮殿下の御足跡を拝しつつ下り、途中辷りなかなか恐ろし、ようやく平蔵の出合に出で右へ本流を下る。前面に黒部別山|蟠《わだかま》る、半時間くらいにて雪崩れたるあり、右側に道あれど詳かならず、川原を進み尾根に取付き等してなかなか渉らず、力つき暗くなりたれば河原に野宿せり、海抜五五〇〇尺くらいのところにて寒し、七時半。
[#地から1字上げ]十四日(土曜日)晴
幸いに雨に見舞われざれば、さほど困難せざりしも、なかなか寒き夜なりき。明くるほどにますます寒く顫《ふる》えながら朝食をなし、六時頃出発、尾根へ登りて進む、困難なり。河原に下りて雪渓を下り、左の谷の雪渓を遡る。それより八峰を眺めながら右の谷へと進み急傾斜を登れば谷つき森林となる。これを突破すれば雪田あり、これ池なり。ここより上の山の肩を見れば小屋あり、すなわち池ノ平の小屋なり。八時半ここを出発、池ノ平山の中腹を廻りて進む、雪渓にて道つきたれば、雪渓を下る、急峻にしてこわし、割合辷らず下りて小黒部本流に出で大雪田を下る。雪渓切れたれば、右の尾根へ道を求めて、河原に出で橋を渡り左を進み、あるいは尾根をあるいは河原をあるいは川を徒歩等困難せり、なかにも急流徒歩の折等は流されんとして命からがら岸へ飛びつき、着物等濡らす、尾根を進みまた下りて河原に出で、流れゆるきところを流されつつ下れば松高山岳部の昼食記念の書きたるあり(この辺川の出合なり)安心せり、右手に道を見、それを進む、分りよき道なり、嬉しくもう大丈夫と思い歌を唱う。黒部本流へ合する前、道は尾根を急に登れば少々不安なりしも道他になきようなれば、これを進む。尾根頂上へ登り切って左手にすぐ下る。下り切ればすなわち祖母谷《ばばだに》温泉にいたる広き道なり。ここへ出でたるときの嬉しさ例えんに物なし、万歳三唱せり。
黒部本流の景色言語に絶するほどなり、かかるところ他に求めざるべし、鐘釣温泉にいたれば人々多く、外人もいるに驚けり六時半着、温泉は非常に綺麗にして殆んど味もなし、この辺の景色とても素敵なり、この夜寒くなし、温泉に浴す。
[#地から1字上げ]十五日(日曜日)晴
本コースは一度も雨に逢わずまことに幸いなりき、無事立山縦走も終りて神戸に帰ると思えば淋し、六時過ぎ出発。今朝は温泉にも入りて気持よし、黒部川の眺め絶佳なり、新鐘釣温泉により、日本電力の大工事に感服せり、絶佳も過ぎ、暑くて暑くてならぬと思いながら十時半頃|宇奈月《うなづき》着、登山名簿へ記入し、黒部電鉄にて三日市へ、三日市にて名物西瓜を食い、汽車四十分遅れたれど無事十二時四十分発にて米原へ乗換後神戸へ一時着。
[#地から1字上げ](一九二六・九)
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兵庫立山登山
私は兵庫県と鳥取及び岡山県界の山脈を兵庫アルプスといい、海抜千五百メートル一の氷《ひょう》ノ山を兵庫槍、三室山を兵庫乗鞍、一番南の一三四四メートル六の山を兵庫御嶽と呼んでいます。扇ノ山は頂上が全部鳥取に入っているから、この山の前山を兵庫立山ということにしました。この立山の高さはよくわかりませんが、一二八〇メートルくらいでしょう。私は昨年九月、この山と扇ノ山へ登るために私の故郷浜坂に下車したのが午前三時半頃でした。私の家に寄って四時過ぎ出発、浜坂に流れている岸田川、すなわち兵庫黒部川を遡って、霧ヶ滝に着いたのは十時頃でした。この滝は水量が少ないのと高さが二百尺以上もあるため、水は途中で大部分霧になってしまうようです。それで霧ヶ滝というのでしょう。ここまでは村人が炭焼きにくるので道がありますが、ここから頂上までは道がありません。そこで少し下って東側の小さい尾根を登り一時間くらいもかかってやっと九〇〇メートル以上の高原のようなところに出ました。ここからスズ竹が網の目のように重なり合っている中をラッセルするので、一時間僅か五町くらいしか進みません。これを突破し滝の上流に出て小川を上り、またスズ竹の中をラッセルして兵庫立山の頂上に午後一時過ぎに着いて、一番高そうなところの木に登って四方を眺めたときは、今までの苦しみは一掃されてしまいました。北の方鳥取から香住までの海岸が絵のように見えます。東に兵庫白馬と三角点のある兵庫鷲羽等は飛んで行けそうに近く見え、これらのあいだを越して兵庫大天井すなわち鉢伏山が岡のような顔を見せているし、今きた高原も眼下に白馬と鷲羽から流れてきています。兵庫槍も大きな尾根を東西に引いて雄大に見えます。もちろん扇ノ山は近いので一層大きく雄大な裾野を引いて西へ沈んでいるのは、なかなか深山的です。立山を下って扇ノ山に登りました。ここは鳥取の人が炭焼きにきて少し木を切っていて楽に歩けます。頂上辺で炭焼きの人に逢い、鳥取県からはこの山へ道があると聞きました。扇ノ山の三角点は木が茂っているのと汽車の時間が気になるので、急いだため見つかりませんでした。そしてスズ竹の中を東方へ下って川に出ました。この川も以前の川も溶岩の中を流れています。但馬のスキー場|神鍋山《かんなべやま》と同じ頃か、もっと古い火山でしょう。裾野を見ても火山であったことを思わせます。川を下って行くと五時頃村の人に逢いました。この人は川にミノすなわちレインコートの材料にする草を取りにきていたのです。そして私が、この道のない山に登り、よく出てこられたと感心していました。ここからはすぐ道がありました。村へ下ってもとの道を浜坂へ帰り、午前一時の汽車で故郷を離れました。低い山でも道が無いと苦しいですね、測量した人はなかなか苦心していることがよくわかりました。
[#地から1字上げ](一九二七・五)
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兵庫御嶽―乗鞍―焼登山記
四月二十九日、午前五時十分|智頭《ちず》行の汽車は鳥取を離れて残雪に蔽われた立山と扇ノ山を左に見て、南へ走って行きます。立山が隠れて氷ノ山が、大きな尾根をちょっと見せました。そしてなお奥へ奥へと汽車は走って行きます。西側の山は山吹の花で黄金色に飾られ、下を流れる智頭川は一層綺麗に見えます。六時半頃でしょう、汽車は智頭の町へ止りました。
そして私は自動車でなお二里半ほど奥へ入りました。ここから河鹿の音を聞きながら本谷川を上って行きます。ときどき涼しい風が両側の谷から吹いてきますが、ルックザックの重味と、小春日和のお日様とで汗がにじんできます。鍋ヶ谷の国有林を眺めつつ志戸坂峠へ登りました。そこには兵庫御嶽の前山が目の前に大きく聳えていました。この峠で鳥取県と別れて岡山県へ急に下って行きます。坂根から岩津原というところにきました。この村の人に兵庫御嶽の前山を俚称大海といい御嶽を俚称道仙寺と言うのだと聞き、小才田と言うところから兵庫県へ向って深い谷を上って行きます。この谷は植林してあってだいぶ奥までいい道があります。しかし海抜一〇〇〇メートルあたりから道は通れぬようになりました。そこで御嶽の前山(岡山県の山)大海へ、熊笹からスズ竹へとラッセルして行きます。なかなかひどい竹で一時間五町も進めません。ところどころ雪も残っています。尾根へ登って南へ縦走して行きますと一尺くらいの小さい竹と草が生えているだけの素敵なところへ出ました。ここは大海の肩です。北の方に兵庫槍が残雪に蔽われて真白に見えます。右に乗鞍が、左に鳥取県の東山や沖ノ山が聳えてなかなか深山的な眺望です。大海の頂上へ登りました。頂上には古い杭が打ってあります。私はそこらの草を急いで除けてみました。オオそこには一二八〇メートル七の三角点が三十年も風雨に曝されて落葉の下に眠っていたのです。そして今私の手によって数年ぶりにお陽様に照らされ嬉しそうにしているではありませんか。私は万歳を三唱しました。そして神戸山岳会員加藤文太郎と書いた小さい杭を打込みました。大海の南の尾根は遠く延びて兵庫御嶽へつづいています。また私はこの尾根のスズ竹の中へ入って行きます。二間くらいもある竹が隙間なしに生えているのですから方角はわからぬし、ラッセルするのに大変力がいり腕も足も非常に疲れます。ところどころ大きな木も生えています。この中を三時間余も縦走して御嶽の端に取付く前、竹を焼いて今ヤッと植林したばかりの東側の山腹へ出ました。それを五町くらい進んで尾根へまた登り縦走して行くと道がありました。このときはほんとに嬉しかったです。それを進んで午後五時半道仙寺の頂上へ登りました。岡山県の禁猟区の杭と兵庫県の国有林の杭が打ってあります。実にこの頂上こそ海抜一三四四メートル六の標高を有し、兵庫アルプス南方の重鎮兵庫御嶽の絶頂であります。オオそこには三角点が苔むしているではありませんか。私は貧弱な杭をまた打込んで、万歳三唱をしました。かく今日のコースはこの思わぬ道があったため大変助かったのです。そして無数の山を眺めながら愉快に下って行きます。六時半頃西河内の宿屋へ着きました。眺望のよかったこと、大変苦しかったこと等疲れた頭の中を走って行きます。そしてこの夜は静かに更けて行きました。
三十日午前六時兵庫乗鞍へ向って宿を出ました。川を下って川井で河内の方へ他の川を遡って行きます。気持の悪い雲が一一〇〇メートル以上を包んでしまい、もしや雨ではないかと不安です。乗鞍は麓から一〇〇〇メートルの線くらいまで草原で道がなくとも楽に登れます。ここに防火線が設けられてあります。この上も植林してありますから割合楽です。次から次へと低い雲が山を廻って走り去って行きます。一二〇〇メートルくらいからスズ竹の中へ入って登って行きます。ところどころ残雪と大きな木があります。オオ雲が晴れました。三室山の頂きが見えます。午前十時半、俚称ショー台の頂上へ登りました。国有林の杭が打ってあります。そこは実に海抜一三五八メートル兵庫県第二の高峰乗鞍の絶頂であります。そして三角点はそのまま山の高さを保っています。オオ見えるではありませんか、氷ノ山が、真白い槍が、鷲羽と白馬が、扇ノ山―鳥取の群山が、大渓谷、大森林、大竹森がーとても雄大な眺望です。私は杭を打込み万歳を三唱しました。そしてここから縦走する予定でした海抜一二四四・二メートルの俚称三国ヶ山は大森林やスズ竹の突破がなかなか苦しいのであきらめて下山することにしました。乗鞍よ、再度相見ることはいつになるだろうと、別れを惜しみながら下って行きます。そして河内へ帰りました。ここから峠を越して国道へ出ます。この峠に登る道は地図と変って左の谷へ入ります。しかし同じ尾根へ登りました。この道は荒れ果てていますが、なかなか深山幽谷的なところです。去年十二月三十一日雪を眺めて歩いたあの国道へ出ました。そして引原川を上って行きます。午後六時頃戸倉の宿へ着きました。もし三国ヶ山へ登っていたらここまでくるどころか、山中へ一泊しなくてはならなかっただろう等と思いながら夢の世界へ沈んで行きました。
五月一日、午前六時宿を出て、兵庫焼へと深い谷を登って行きます。ここの谷は数年前木を切り出した道が名残りをとどめています。それで大したラッセルもせずに大雪渓につきました。四ツ這いになって左の谷へ入って行きました。そしてスズ竹の尾根へ登って北へ縦走し午前九時半頂上へ着きました。そこらの落葉を取り除けてついに三角点を探し出しました。オオこれが海抜一二一六メートル四の俚称赤谷の絶頂兵庫焼の絶頂です。私は万歳と叫ばずにはいられませんでした。北には穂高から槍への残雪は近いだけ一層綺麗に見えます。右へ但馬の妙見が、左
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