生徒で神戸徒歩会の藤田君もいました。室堂へ着いたのは午後五時で、おじさんとおばさんの二人が地獄谷の硫黄を掘っていました。おじさんは九月中はいると言っていました。四校生は飯をたき、私は弁当でしたが、同じように薪代八拾銭を取られました、皆で山や熊の話等をして大いに語り九時頃寝ました。連中はシュラフザックを持ってきていましたが、それでも寒く夜中に起きて火をたいたりしたと言っていました。私は夏より一着余分に服を持ってきましたので、割に温かでしたが手だけは少し寒かったです。
 二十五日午前三時頃私が起きますと連中もすぐ起きてきました。それから火をたき飯を食って四時半頃私一人で出発しました。雄山と浄土山との鞍部へ登った頃はもう全く明るくなっていました。荷物を置いて急坂を登ります。御来迎を気にして急ぎましたが、神社のところへ着くともう太陽は雲から半分出ていました。それはあまりいい御来迎ではなかったです。神社には夏きたときとは全く違って石が一ぱい詰めてありました。北アルプス槍、穂高よりこちらの山は割にはっきり見えましたが、白山、乗鞍、御嶽、駒連峰、南アルプス、富士等は薄黒く見えるのみで夏見たより貧弱で
前へ 次へ
全233ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 文太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング