お天気がつづいたから明日は雨かも知れない、もし雨が降れば山は風もつよく危険である等と種々話された。翌日はやっぱり雨だったし気持の悪い風も吹いていた。主人はもし危険だと思ったら引返しなさいと言って、昨日のラッセルでワラジが一つ無くなっているのを見て無い中から作って下さった。雪渓が多いのと風雨が強かったので相当苦心したが、無事白山の絶頂を極め得たことをこの人人に感謝してやまない。ただ小さいお金が無くて壱円なにがししか置けなかったのと、名刺を置いたが名前を聞かなかったことを心残りに思っている。
昔の穂高連峰――殺生小屋で、あるリーダーが昔の穂高連峰は最も恐しい山で、今の北鎌尾根以上であって、その頃他のリーダー等と穂高縦走をやったが、その日は大変荒れて雨が降り風も吹いたため、尾根を取違えて迷い廻ったこと三日間、いかな山男も運を天にまかせてしまったほどだと言っていた。しかし幸い彼の喜作新道の開発者喜作様が心配してきて救い出してくれたという。この喜作様は冬猟のとき雪崩のため小屋もろとも埋められて死んだそうだが、喜作様の名前は西岳連峰縦走道によって長く伝えられるだろう。
今の穂高連峰――昨年私が
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