。火を焚いてみようと思って温泉の前に積んであった薪を小さく割って積み重ね、紙を燃して一生懸命に吹いてみたが、ちよっと燃えるだけですぐ消えて黒くなってしまう。ローソクも相当燃してみたが火力が弱いのか、やはり駄目であった。これまでの夏期の登山では雨が降ろうが、風が吹こうが、一日だって同じところに停まったことがなかったので、元日は今日も吹雪がつづくのではなかろうかと思って、一番心細かった。しかしこの日は、冬山は夏のようにはゆかないということがわかり、だいぶ落着いてきた。戸棚には宿泊人名簿とキングの古雑誌があったので、それを読んだりした。
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一月三日 快晴 温泉出発三・〇〇 夏沢峠五・〇〇 本沢温泉六・〇〇 夏沢峠八・〇〇 硫黄岳九・〇〇 横岳一〇・二〇 赤岳一一・一〇 夏沢峠一・四〇 夏沢温泉三・〇〇 上槻ノ木六・三〇
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夜中から星が光っている。八ヶ岳の頂きに立つ日がやってきたのではなかろうか、そう思うと何度も目が覚めてよく寝られない。早すぎると思ったが思い切って出発し、ランタンをたよりに峠へ急ぐ。峠ではまだ暗く風が強いので、シールをつけたまま本沢温泉へ下ってみる。番人がいたら御馳走をしてもらうつもりだったが、あいにく留守でがっかりした。峠からこの温泉までは森林帯でさほど危険でないが、スノウ・ボールが落ちるほど急なところが多く西側とは段違いだから、スキーのうまくない人はシールをつけて下ってもさほど時間は変らないと思う。しかし温泉附近はとてもいいスロープがある。硫黄岳から天狗岳への山稜がモルゲン・ロートに燃えだして素敵だ。急いで峠に引返し硫黄岳へ登る。相当上までスキーは使えるが、風が強いので昨日登ったところでスキーをアイゼンに変え、偃松帯へ入ってちょっと泳ぐともう雪は堅くなっている、アイゼンで気持よく歩ける。風はとても強いが、天気がいいので安心して登る。硫黄岳の頂きで初めて見た冬山の大観。それは僕には一生忘れることのできない一大驚異であった。頂きはとても寒いので長く立ってはいられぬ。急いで横岳へ向う。硫黄岳と横岳の鞍部では風のため二、三度投げ出された。顔と手の寒いことよ。スキー帽の上に目出し頭巾を冠り、その上を首巻でグルグル巻いているのに、風の強く吹いてきたときは痛いと思うほど寒い。顔と手は皮の物を使わなければ駄目らしい。横岳へ取付いてすぐ二カ所岩にかじりつくところがある。しかしどっちも低いし、落ちても安全なところである。横岳は殆んど東側ばかりを歩いた。さほど悪いと思われるところはない。横岳の下りで、新雪の急斜面を横切るとき、ミシッと言って大きな割目ができたので、ヒャッとして夢中で元の方へ這い上った。ここは今ちょうど太陽が直射していて深く潜るところであった。そこでこんどはズッと上の方を偃松や岩角を掘り出し、これを手掛りとして通った。この辺から見た赤岳はとても雄大である。鞍部にある赤岳の小屋は戸口に雪がつまっていて入れそうにない。風は止んでズッとあたたかくなってきた。そして午前十一時十分憧れの頂きに立った。三年前の九月一日に権現岳からここへやってきたとき、一月などにこの頂きに立てようとは夢にも思わなかったが、何と幸運なことだろう。昨日までの苦心はこれで完全に報いられた。さあベルグハイルを三唱しよう、歌も唄おう、四囲の山をもう一度ゆっくり眺めよう。そうして北の山を眺めていると、乗鞍へ向った先輩のことが頭に浮んでくる。今あたり乗鞍の頂きに立って、エホーと声をかけているのではなかろうか、何だかそんな気がする。早く会って乗鞍の話を聞こう、また八ヶ岳のよかったことを話そう。帰りに横岳の西側を歩いてみた。雪の着き方が少ないので楽だが、悪場のため、長くは歩けなかった。横岳を過ぎ硫黄岳へ登って、赤岳へ名残りを惜しむ、天気は依然として変らない。スキーを履いてから峠まで、ちょっとのあいだに何度も転ぶ。夏沢温泉へ帰って、すぐ荷物をまとめ、山を下る。アーベント・グリューエンに燃えた八ヶ岳の連峰が、いつまでも見送ってくれていた。
乗鞍岳
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一月五日 晴 番所原八・〇〇 冷泉小屋一二・〇〇−一・〇〇 乗鞍頂上三・〇〇 冷泉小屋四・〇〇
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四日の夕方、僕は番所原へやってきた。この日R・C・Cの先輩らが乗鞍の頂上を極めて下ってきたのでメートルを上げる。
五日は早朝から星が出ていた。しかし今日は冷泉小屋までだと決めていたので、ゆっくり出かける。金山平で松高の人にコースを聞く。鳥居の下の急斜面は雪が固かったので、スキーをぬぐ。冷泉小屋へ行く道と分れるところに赤旗を目標に登るべしと書いてある。赤旗は冷泉小屋に立ててあるのだがよくわからなかった。しかしシュプール
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