ることにして霧の晴れるのを待った。夕方霧が晴れて初めて後戻りしていることがわかり、まことに残念でした。迷うと磁石が狂っているように思われます。海抜二八〇〇メートルの高所に着のみ着のまま寝たのですが、合羽を大沢小屋に乾しておいて忘れ一層寒く、一晩中凄い月が黒部谷を照らして立山の上へ移るまで、殆んど寝ないで眺めていました。これが私の青天井に寝た一番高所のレコードとなりました。
十四日は六日ぶりにいいお天気になって立山連峰の眺めは素敵でした。日本アルプスその他山という山はことごとく見えました。八方の小屋は壊れていて別に日電観測所の小屋がありますが、許可なく入るべからずと書いてあります。八方尾根の道は平々坦々の広い道です。八方池の手前にまた、日電の中継の小屋があります。最後の下りはうねうねと廻り廻っているのにはいやになってしまいました。午後二時三十分無事四ツ谷へ下山しましたが山と別れることは淋しいものでした。
九月の立山
九月二十四日は割にいいお天気で千垣行の電車の中から立山連峰が雄大に見えます。そして、射水《いみず》中学の校長先生が乗っていられて立山の話をされました。先生は称名ノ滝までお子様と二人で散歩においでになったのです。私は先生と一緒に称名川《しょうみょうがわ》を遡って行きました。弥陀ヶ原側はところどころ崩れて大絶壁をなしています。雑穀谷の吊橋を渡ると道から少し離れていますが、小屋があります。ここで昼食をしました。称名ノ滝の少し手前にも、また小屋があります。ここで先生とお別れして川へ下って吊橋を渡り弥陀ヶ原へまっすぐ登ります。なかなか急峻です。しかしこの途中で称名ノ滝を見るのはとても雄大です。登り切って、見覚えのある広い道を急ぎます。もはや霧が巻いていて遠望はききませんが道ばたの草、漆の木等は綺麗に紅葉しています。今度は獅子ヶ鼻岩の方へ廻ってみました。少し下ると川があります。大きな苺がたくさんなっていますが急ぐので心を残しながら川を渡って登ります。鉄の鎖の釣ってあるところが二カ所ほどありました。獅子の鼻といえばいえぬこともないような珍な岩です。鏡石の小屋あたりまでくると、霧が晴れだして大日岳が谷を距てて大きく見えるようになりました。どんどん登って行くと前方に四人の登山者が見えましたのでエホーと声をかけますと返事がありました。大急ぎできてみると、四高の生徒で神戸徒歩会の藤田君もいました。室堂へ着いたのは午後五時で、おじさんとおばさんの二人が地獄谷の硫黄を掘っていました。おじさんは九月中はいると言っていました。四校生は飯をたき、私は弁当でしたが、同じように薪代八拾銭を取られました、皆で山や熊の話等をして大いに語り九時頃寝ました。連中はシュラフザックを持ってきていましたが、それでも寒く夜中に起きて火をたいたりしたと言っていました。私は夏より一着余分に服を持ってきましたので、割に温かでしたが手だけは少し寒かったです。
二十五日午前三時頃私が起きますと連中もすぐ起きてきました。それから火をたき飯を食って四時半頃私一人で出発しました。雄山と浄土山との鞍部へ登った頃はもう全く明るくなっていました。荷物を置いて急坂を登ります。御来迎を気にして急ぎましたが、神社のところへ着くともう太陽は雲から半分出ていました。それはあまりいい御来迎ではなかったです。神社には夏きたときとは全く違って石が一ぱい詰めてありました。北アルプス槍、穂高よりこちらの山は割にはっきり見えましたが、白山、乗鞍、御嶽、駒連峰、南アルプス、富士等は薄黒く見えるのみで夏見たより貧弱でした。しかし別山中腹あたりの紅葉だけは素敵でした。雪はもうどこにも少なく浄土の雪渓が少し残っているだけです。雄山を下る途中四高の連中が登ってきました。私はそこでお別れをして浄土山へ登ります。ここの雪をかじってみましたがとても固く氷のようでした。五色ヶ原は眼下で雄大に見えます。縦走路は割に急な登り下りとなっています。鬼岳を下る途中エホーと声をかけてみますと案外にもザラ峠から返事がありました。大急ぎで下ってみると人夫が三人待っていましたので一緒に立山温泉まで行きました。途中両側の山が崩れて大絶壁になっているところがたくさんあります。立山温泉へ十一時頃着いて一浴し十一時半頃ここを出発しどんどん下って行きます。この道は内務省で広くするため大工事をやっています。藤橋へは午後三時過ぎ着きました。四高の連中はまっすぐ弥陀ヶ原を下ると言っていたので競争をしようと言ったら、駄目ですと言っていたが、やっぱり私の方が早かったのです。千垣へ着いたのは五時でした。それからあのいつも変らぬ富山市電に乗りました。もう今は立山にもたくさん雪が積ったことでしょう。一度雪の立山にも行きたいものです。
新雪の槍ヶ
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