晦日の雨でと思われる雪崩が左岸には出ている。
今年は積雪量が少ないためかあまり大きな雪崩は出ていないようだ。大半道は右岸を通っている。針ノ木の西尾根には岩場があるから雪のよく降る日は雪崩も多く出るだろう。
一八九二メートルの出合からちょっと上は谷が細く、両側から雪崩の出そうなところである。ここを過ぎると丈の低い山はんの木[#「山はんの木」に傍点]のはえた広い谷で、全く開放されたような気がする。しかし雪のよく降る日ならここから上が最も危険なところであろう。蓮華岳側はあまり問題にならいが、針ノ木側は岩場もあり、そのうえ風陰なのでよく出るに違いない。山はんの木[#「山はんの木」に傍点]が少なくなるとだんだん傾斜が急になり、谷もいくつかの小谷に分れる。霧が晴れてきて、針ノ木峠の小屋が見え出したので迷うこともなく、小屋の右側の小谷を急なキック・ターンを繰返しながら登ったが、意外に時間がかかった。
針ノ木峠の小屋には黒部側に面した南窓から入る。蒲団《ふとん》は梁《はり》に掛けてあり、その上にゴザを冠せてあった。食糧や燃料は無いようである。雪は南側の窓のある方には随分入っていた。
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一月六日 快晴 針ノ木峠の小屋よりスバリ岳往復三時間半 一一・〇〇小屋を出発 五・〇〇大町
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今朝はすばらしい良いお天気なので針ノ木岳とスバリ岳に向って小屋を出る。随分風が強く、寒いのと急な登りなのでちょっと参った。針ノ木の頂上からスバリへ下る尾根は急に落ちているが、風が良く当るため夏道が出ているので簡単に下れる。スバリの最高点は一番北の端なので、そこまで行って一つのケルンの中に名刺を挟んでおいて引返す。針ノ木峠の下りは張りシールのままなので直滑降をしたが、雪がやわらかく雪崩の跡もないので、あまりスピードは出なかった。
二一五〇メートルくらいへ来ると左の方から出た古い雪崩の跡があり、二〇〇〇―一九〇〇メートル附近は全く雪崩で荒されていた。大沢の小屋によって夏道をしばらく伝ってみたが、藪が多いので谷へ出てそれを下った。扇沢の手前でまた夏道に戻り、シールをめくって漕いだが、天気が良いので滑らず、神《かみ》ノ田圃《たんぼ》の早稲田のヒュッテで合宿をしていた山友達の乗った汽車に間に合わなくて残念であった。
[#地から1字上げ](一九三五・一一)
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冬山のことなど
天候について
天候は初冬の頃は一日のうちでも晴れたり曇ったりというようによく変化をするが、そのかわり大した荒れはない。すなわち晴天と荒天が曇天を中心として振りわけに小さい波形で変化をして行くのである。真冬になるに従ってこの変化の中で曇天から下の荒天の部分の波がだんだん大きくかつ長くなり、たいてい晴天一日、曇天一日、荒天二日という調子を繰返すようになる。そして春が近づくとまた初冬のように振りわけの波形に変るが、今度は大変ピッチの長い波になるようである。すなわち二日も三日も晴天がつづいたり、また荒天がつづいたりするのである。しかしこれらの天候中晴天の日と曇天の日はまず安全な登山日和だといえる。
晴天になる前兆――普通降雪後は風が出て、一ノ俣の小屋だとか、弘法、猿倉、大沢小屋……等のように山の中腹以下から見ていると、ときどきこの雪雲が切れてその隙間に青空が見え出す、もちろん槍肩の小屋だとか、室堂、白馬頂上小屋、針ノ木峠小屋……等のように山頂附近からならこの雪雲は霧であって、この霧の切れ目に青空が見え出すわけである。そしてまたこれが暗いときならこの雲や霧の切れるごとにチラリチラリと星が見えるのである。もうこうなれば天候は全く快復しているのである。ただし雲が切れて行っても青空が見えぬとき、すなわち上空がまだ曇っているような場合はもう一度荒れると確信してよい。山頂附近には両方とも雪を降らすが、山麓では第一回の荒れが雨で、第二回目の荒れには雪に変るのであって、こういうように気温が下って行って初めて晴れ上るのである。
降雪が夜中に止むと朝方には山の中腹に霧が立ち込めていることが多い。しかしこの霧は一部分に薄くかかっているだけで、夜が明け出すと非常に明るく感ずるからよくわかる。こんなときはたいてい丸一日晴天だから夜が明けてから様子をよく見定めて後出発しても遅くはない、で気をつけてこの機会を取り逃がさぬようにしなければならぬ。降雪が午後からやんで夜通し星が出ていれば、その間晴天が逃げて行くわけだから、翌日はできるだけ早く出発して午後には安全地帯に到着しているようにしないと荒天に逢うおそれがある。
荒天になる前兆――晴天であった日の夕方にわかに生暖い風が吹き始めたかと思うと青空に刷毛で掃いたような雲ができる。また谷間に雲がボーッと浮いて、
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