で、天気がよくなればすぐ下山しようと思っていると言った。で僕は「山を下りられるなら今僕の登ってきたシュプールが確実に残っていますから、どんなに霧が深くとも迷うことはありませんよ」と言って元気をつけてあげた。
追分からは夏道を離れて真東にコースをとり、湯川の谷の縁へ登って行く。この附近はこれまでと違って急に針葉樹が繁り、雪が深く、傾斜も急でラッセルがつらい。尾根の手前一〇〇メートルばかりで、左へ方向を変え尾根を右山に巻いて斜めに高く登って行くと一つの段へ登りつくことができる。追分から一時間である。この頃より全く霧が晴れて広い広い弥陀ヶ原が脚下に展開されてきた。ここは地図の弥陀ヶ原の弥の字から東へ登った尾根の二一〇〇メートルくらいのところである。
ここまでくると木もまばらになり、雪も締ってラッセルが楽になってきた。遥か後の方で人声がするので、振り返ってみると一行が後を追ってくるのであった。尾根の下七、八メートルくらいのところを巻きながら広い谷を一つ越すと、天狗の頂上からはるか下の平までつづいている雄大な斜面に出てきた。ここで一行は追いついてきて「良い天気になったので立山へ登りたくなってきた」と言ってラッセルを代ってくれた。この附近は風が良く当るので板状雪になっているところもある。なおも右山で中腹を巻きながら進むと、弘法より四時間ほどで尾根はぐっと右へ曲ってしまい、前面に天狗平が現われてくる、ちょうど立山の連峰が夕日に焼けてとても綺麗である。天狗平の小屋は地図の鏡石から東南東八〇〇メートルほどのところと思われる。
天狗平の小屋には天狗岳に面した南窓から入る。寝室は二階で、寝床が一部分押入のように二段になっているところもある。小屋番がいてストーブは赤々と燃えているし、なんにもしないでいて暖い御飯がたべられるので、こんな高い山の上だと思われない。ちょうど山の先輩杉山さんが泊っておられて殊に賑かであった。杉山さんの話では今日は下の方こそ霧がかかっていたが、上の方は良いお天気で立山頂上の大観はすばらしかったとのことだ。小屋番はおとなしい男であったが、若い案内二人と夜遅くまで話をしていて耳障りであった。(しかし可哀想にもこの冬東京からきたパーティのお供をして立山へ登り、途中ひどい吹雪に会い、皆と一緒に雪の孔の中に避難していたが、二、三日目にとうとうこの小屋番だけが凍死したそうである。)
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一月三日 快晴 七・〇〇天狗平の小屋 一〇・〇〇立山最高点 三・〇〇ザラ峠 五・三〇刈安峠 九・〇〇平の小屋
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今は実にすばらしい良いお天気である。冨山組四人と小屋番の案内および僕の六人で出発した。昨日登った杉山さんと案内のシュプールがあるのでそれを伝う。広い雪原を南よりに東へ向ってしばらく登ると浅い谷を渡る。二六二〇・八メートルの裾を巻き終るとまた広い谷が現われてくる。この谷にはよく雪庇ができているので、なるたけ右寄りに巻いて谷を渡る方が安全である。
これを越せば室堂の平はすぐである。天狗平から一時間ほどで室堂に着く。室堂からは浄土山の北斜面を巻いて行く。急斜面を巻き切ると一ノ越はすぐ目の上に現われてくる。この附近は随分風が強いとみえて雪は固くなっているし、浄土側には一部雪庇ができてその下には大きなスカブラができている。一ノ越のすぐ下の固い雪の斜面をキック・ターンしながら登れば室堂から一時間ほどで一ノ越の上にのぼれる。たいてい風は西から吹き上げてくるので風陰を求めて黒部側へちょっと下り、そこでスキーをアイゼンにかえる。
乳菓等を少したべて元気をつけてから登る。小屋番の案内はアイゼンを持ってこなかったので、頂上へは登れない。冨山のパーティも夏山用の不完全なアイゼンを履いているので早くは登れない。一ノ越から頂上までのあいだの尾根は最初ちょっと雪のやわらかいところと、岩の出たところがあるがだいたい固い雪の道で、ところどころ風で夏道の出ているところもあり、夏と殆んど変らない時間で登れる。
しかし風はなかなか強く寒いので、防風用の服を着、顔は毛皮で頬冠りをした上、スキー帽も冠って登る。頂上の社務所のところはまだ雪がやわらかくところどころ落ち込む。僕は雄山神社のところへ登った後、大汝の方へ二十分ほど縦走して行って立山の最高点へ往復する。この最高点から雄山神社を越して薬師岳が見えるし、大汝の上には黒部谷下流の白馬側の山が見える。冨山のパーティのうち頂上へは二人しか登らなかった。他の二人は追分の小屋にいるときからすでに消耗していた人である。頂上へ登ったリーダーらしい方の人は、これで春夏秋冬と立山の頂上へ登ることができて本望であると言って喜んでいた。一ノ越で一行から蜜柑《みかん》を御馳走になる。
一行がスキー
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