人にて道を行く、殺生小屋着二時半、途中大槍小屋に行く道ありて、その辺より雨降り出す。雨を冒して槍の頂上へ出発、ルックザックは小屋に置き、急なる道を進み、四、五十分にて槍肩を経て頂上着、祠あり名刺を置き三角点にて万歳三唱、一時間くらい霧の晴れるを待つ、ときどき天上沢、槍平方面の見えるのみ、下山、殺生小屋泊、人の多きことに驚けり。
[#地から1字上げ]二十七日(火曜日)雨
雨を冒して九時半殺生小屋出発、大喰岳、中岳等を経て南岳(地図の北穂岳)へ来り三角点あればそこにて昼食をなし万歳三唱、そりより数町行きて大キレットに下る。驚くべき大絶壁にて下るを得ず引返して谷に下りてみれば道あり、水の出でたるところありて渇を医す、大キレットに下り、これより北穂高に取付く、そこにて松本の人(早稲田)大阪(ジュンレイ会か)の人二人に逢う。北穂高の取付きは非常に悪き道なり、途中迷うことも多からむ、石の祠あり名刺入れの缶あり、自分もこれに名刺を入れ万歳三唱下山す。それより上下ガレ道ばかりにて非常に辛し、また名刺を入れ万歳三唱して下山すれば、目下に小屋あり、嬉しきことこの上もなかりき。声をかくれば返事ありてホッと安心す。行程僅かに二里くらいなるに九時間も要せり。六時半小屋着、ときどき霧晴れて抜戸岳、笠ヶ岳を見る。この日雨風強く相当困難なり。
[#地から1字上げ]二十八日(水曜日)雨後晴
早朝より相当風強けれども、十時過ぎ雨を冒して小山を出発、奥穂高取付き非常に困難、北穂高取付きと同様なかなか危険なり、されど道割合に分りよく無事奥穂高絶頂を極め、万歳三唱、名刺を置き、左の屋根に下る。ガレ道の下りなかなか困難、数時間にして前穂高着(地図の穂高)。展望台の壊れたるあり、三角点にて万歳三唱、名刺を置き、名刺入の缶の中を見れば矢沢氏(アルプスの本著者)等の名刺発見せり。二時間ほど霧の晴れ間を待つ、唐沢、上高地、明神方面ときどき見え痛快。なかなか霧晴れざる故あきらめ四時頃下山、乗鞍御岳の雄峰前に見、眺望よし。途中道瞭らかならず偃松等をわけ、あるいは水の流れるところ等を下る、なかなかはかどらず。されば谷を下ればよしと思い雪渓に出ずれば非常に急にして恐ろし、尻を着けアイスピッケルを股いで滑れば、はっと思う間に非常な速度にて滑り出し、止めんとすれども止らず、アイスピッケルにて頭等を打ち、途中投出され等して数町を下りたり。そのときもう駄目なりという気起り気遠くなる思いなり。岩にぶつかるならんと思い少し梶をとりようやくスロープ緩きところに止り幸いなりき、あやうく命拾いしたり。それよりアイスピッケルを取りに行く困難言葉に表わされず、小石を拾いてそれにて足場を作り一歩一歩進む。手の指かじかみ足また凍えて苦しきことかつて知らず。ようやくピッケルを取りたるときの嬉しさ例えんに物なし、それより尾根へ取付き相当苦しきところを下る。ルックザックのところにて雪渓を行きカバの木を尻にしきて雪渓を辷る。割合安全なれど力を要し進まざれば、途中にて止め、尾根に取付きそれを下りて川原に出で、これを下ればよき道に出でたり。これすなわち穂高登山道ならむ。雪渓へ出でずこの道を下れば、かかる困難をせざりしならむにこれもまた後日のためならむか。経験得るところ多し。これらすべて実に偉大なる恐るべき山なり。穂高は実にアルプスの王なりとしみじみ感ぜり、神の力に縋らずして命を全うすることを得ざるなり、有難く感謝せり。それより道を下る、森林道にてなかなかよし、途中にて堤燈をつけ歌を唱いて下る。無事カッパの橋の人家あるところに出でホッとせり、上高地温泉につきしは九時頃なり、嬉しかりき、温泉へ数度入り宿泊せり。
[#地から1字上げ]二十九日(木曜日)
雨をおかして六時頃温泉発、大正池附近川原にて道明らかならず迷い、山の方へ川原遡れば道に出でたり。それを行く人に逢い焼ヶ岳に行く道なりと聞きまた川原を下る。大正池数町の手前のところに道あり、これすなわち求むる道なり。焼の中腹道にして通行人も少なく、水の流るるところは土崩れを生じ道なくなかなか困難なり、それより中ノ湯を上り安房峠へいたる。なかなか深山らしき大森林なり(ブナ帯)笹原を下り、平湯に出ず(十時半)十一時同所出発、鉱山跡を通り乗鞍大滝を見ながら上る、非常に大きな滝なり。風雨強く雷鳴を聞きながら登る、大雪渓を突破し頂上近き偃松帯に入り池畔を通りて乗鞍八合目(六時頃着)にいたれば、観測所小屋の壊れたるあり。この他泊るべきところなきよう思われ観測所小屋に入り火を焚かんとすれども燃えず、止むを得ず濡れたるものをぬぎなどして寝るべき支度をせり、気付きて案内の地図を見れば頂上小屋なり。さればと荷を置き頂上へ出発(七時)頂上らしきところまできたりたれど小屋らしき物なし、止むを得
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