を尋ねたり、若桜スキー場へも行ってみた。
そんなこととは少しも知らず、私は山との別離を惜しみながら、ぶらぶらと下ってきて初めて駅の助役さんからそれを聞き、ほんとに驚いてしまった。いくら山に迷えるとはいえ、病気の父にこれほどまでも心配をかけるとは、なんという不孝者であろう。こんな者こそいい加減に山の中で死んでしまえばよいのに。
けれど父は無事に帰ってきた私の顔を見ては嬉しさの余りものもいえないほどだった。そしてこんなに病気で困っているのだから、たびたび帰ってきてくれと繰返し繰返し言っていた。
その後私は氷ノ山から扇ノ山を越して見舞いに帰ろうと思って何度も八鹿へ下車したけれど他に氷ノ山の方へ行く人がなく、一人では自動車が大変なので止めたり、氷ノ山へ登っても雪の状態が悪くて一日では扇ノ山まで行けそうにないので引返したりした。三月の終りになってやっと一度機会を掴み、氷ノ山―陣鉢山―三ツヶ谷―仏ノ尾―扇ノ山と縦走して海上に下ったが、意外に時間がかかって故郷の浜坂へついたのは夜中であった。それでも折角見舞いに帰ったのだから朝までは父のそばにいた。父はこれから帰っても大して仕事はできないのだから休んで一日おってくれというのでしたが、気の小さい私にはどうしても会社を休むことができませんでした。
その後父の病気はだんだん重くなって行くのになお山の恐ろしい力が私を誘惑する。それは前穂の北尾根と槍の北鎌尾根なので、一人では少々不安だ。そうかといって山にはなんらの興味ももっていない案内を連れて行くことは、遭難した場合のことを考えると気の弱い私にはちょっとできない。そう考えているときちらっと吉田君の顔が頭に浮んだ。吉田君は恐ろしく山に熱情をもっていて、山での死を少しも恐れてはいない。そのうえ岩登りが実にうまい。だから私は間もなく吉田君を誘惑してしまった。
今冬は非常にお天気が悪かったためか、前穂北尾根には凍った箇所はなかったが、岩登りの下手な私がブレーキになったので、第三峰の左のチムニーで露営しなければならなかった。その晩はだいぶ吹雪かれたので、二人とも少なからず消耗した。吉田君は岩場で奮闘したため、手には凍った毛糸の手袋が一組残っているだけだった。翌日物凄い吹雪の中を前穂へ辿っているうち、とうとう吉田君は手の指を凍傷にしてしまった。奥穂の小屋へ帰ったとき、私は疲れはてて食物も吐出したほどで、吉田君の手を摩擦してあげる元気がなかった。
山を下ってから、吉田君は一カ月余も入院していた。私は吉田君のお父さんに「あんたと一緒だというから安心していましたが」といわれたとき、ほんとにすまないことをしてしまった。たった一人の心の迷いからこうまで多くの人々に心配をかけるとは、おおなんという恐ろしいことだろうとひどく胸を打たれてしまった。それ以来私の心はだんだん変って行った。また故郷の家からは、父の病気はますます重くなって行く、もうそう長くは生きておられないように思うといってきた。私もそう思ったのでもう山登りを止めよう。そしていろいろ心配をかけた不孝をお詫びし、今度こそはほんとにお父さんを安心させようと決心した。そして休暇の貰える日を一日千秋の思いで待っていた。
六月も終り、故郷の町には川下祭という大祭のある一、二日前、急に暑くなったためか父はついに飲物さえ喉を通らなくなった。そしてもうすぐ私が見舞いにやってくるだろうと、私の兄がなぐさめても父は待ちくたびれたのか、会社の方が忙しいということだからもう帰ってこなくともよいと言っていたそうだが、間もなくものもいえなくなってしまった。
私が取るものも取りあえず、あわてて駆けつけたときはもう父には意識がなかった。そして祭の太鼓の音がだんだん遠くなり、人通りも少なくなってきたころ、とうとう父はこの世を去ってしまった。私は父に聞いてもらおうと思ってたくさんの言葉をもって帰ったが、ああそれはどこへもって行けばよかったでしょう。
[#地から1字上げ](一九三四・一〇)
[#改ページ]
単独行について
今ここに単独行について書くところのものは私一個人の考察であり、何ら他の単独行者より得たものではなく、多くの独断をまぬがれないと思うが、ともに山へ登るものである以上、ある程度までは共通性をもっているものと信じてうたがわない。
わが国にも多くの単独行者を見いだすが、大部分はワンダラーの範囲を出でず、外国のアラインゲンガーの如く、落石や雪崩の危険のため今まで人の省みなかったところを好んで登路とし、決して先人の後塵を拝せず、敢然第一線に立って在来不能とされていたコースをつぎつぎとたどる勇敢な単独登攀者(水野氏著岩登り術)とは似ても似つかぬほどの差があるであろう。さてかくいう単独行者はいかにして成長してきたか、もちろん他の
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