々欠点をあげて非難されだろうことも毫《ごう》も残念だとは思わなかったし、僕の死体を探すために出される捜索隊のことや、その他いろいろとみんなの厄介をかけること等はまるで頭の中に浮んでこなかった。それは僕の性質に欠陥があるためだろう。そのうちに頭も疲れてきてついに何も考えられぬようになってきた。そして間もなく眠るが如く、ぐったりと倒れてしまった。
 それから四、五時間もたった頃、僕は突然われにかえった。気がついてみると、やっぱり僕は三ッヶ谷の直下で倒れていたのだった。空はもうからりと晴れ上ってすばらしいお天気になり、暖かい太陽が斜め上に赫々と輝いていた。そのときの僕は嬉しさのあまりこおどりした。唄を歌った、力一杯どなってもみた。そして更正の喜びにひたったのだった。もちろんあたりの懐しい山も谷もすべて、僕の蘇ったのを見て、一層晴やかな顔を見せてくれた。だからもう僕は迷い廻ることはなく、スキーを履くと一直線に昨日のコルへ下って行った。
 そしてコルに着いたときは、こんなところで迷っていたとは思えないのだった。例の昨日の田圃だと思った木の無い谷では、すでに山猟師がやってきて兎狩をしているのだった。エホーと声をかけてみたが、彼等は狩に夢中になっているらしく返事はなかった。それからしばらく国境尾根をたどり、長いゆるい斜面をまっすぐに北へ向って辷って行った。その後二つの浅い谷を越すのに、空腹のため相当時間がかかったが、なんなく菅原の村までスキーを履いて降ることができた。もちろん村の近く急斜面では転んでばかりいたが、嬉しくてスキーをぬぐことができなかった。そして先年泊ったことのある家に行き、おかゆを御馳走になってほっとしたのは午後六時だった。すぐスキーをまとめてここを出発し、雪深い道に悩みながら、それでも元気で下って行った。ちょうどこの日は月蝕の晩だった。菅原から六キロほど下った田中という村の辺では雪の無い道となった。湯村まで歩いて、ここから浜坂駅まで自動車を飛ばし、時間がなかったので家にも寄らず、二十三日午前一時四分発の汽車に乗ってしまった。だからその日は会社で働くことができた。もちろん社ではたびたび居眠りをしたが、もう凍死の心配はなかった。
 さてこの遭難の最大の原因は何であろうか。もちろん僕の悪い性質(天候が悪いのにもかかわらず、無理に決行しようとする)のためであったろうが、それにしても準備不足ということが第一であったに違いない。その中でもシールの張りつけが不完全であったこと。すなわちワックスの適当なものを持たなかったのが一番悪く、食糧の不足がその次である。防寒具の不足は最も恐ろしいことだが、雪の中で安全に眠れるほどに持つことは、スキーの下手な僕には無理なことだ。またスキー杖の半分折れたのを持って行ったことも悪かった。防水布の手袋は信州の山ではよいと思ったが、このときは降雪や転倒のため濡れて、殆んど防寒具にならなかった。その他取付けシールや吹雪用の頭布等を持たなかったのも欠点である。それから未知の山であったということはどうか――これは大して影響しなかったと思う。何故ならあんな天候の日には少々知っていても、未知のところと同じように迷うだろうから。
 その他気づいたことは――吹雪の日にはコッヘルを使用することによって安全な食事をすることができる。冷い食糧は駄目だ。雪上で眠ることは危険だが、温かい物を食った後なら(極度に疲労していないなら)凍死するほど眠り込まないで、ある時期になれば気がつくだろう。二人以上いるなら交代に眠り、必ず一人はコッヘルで熱い飲物をこしらえながら起きていること。ひどい吹雪でなければ、眠るより歩いた方がよい(非常にゆっくりと、あるいは居眠りをしながら)。腰をおろして休むときには眠り込まぬようにコッヘル等を利用すること。以上のように終始コッヘルを利用することが一番よいと思う。もちろん疲労や睡眠不足を完全に補う薬があれば一番よいのだが、残念なことに僕はそれを知らない。
[#地から1字上げ](一九三三・一)
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冬富士単独行

 細野へ行く山友達とともに、いつもの急行で神戸を出発した。この汽車は御殿場へ行く僕にはあまり有難くなかったが、友達の友情に引きずられたのだった。だいたい僕は岩登りも、スキーも下手なのでパーティの一員としては喜ばれず、やむなく一人で山へ行くのであって、別にむずかしいイデオロギーに立脚した単独登攀を好んでいるわけではない。だから汽車の中など、少々足手まといになっても、お互いの生命まで関係しないときは山友達もともにいることを許してくれる。
 名古屋では乗換に間があったので、荷物をプラットホームにおいたまま駅前の通りをぶらりと歩いてやがて時間がきたので構内へ入ってみると、さっきおいた荷物が見えない。
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