五八メートルからアイゼンを履く。頂上まで広い平凡な尾根だった。この附近から見た冬山の大観はすばらしかった。薬師堂附近の雪庇は平凡な形のもので、その上を歩いても落ちなかった。下りはちょっとではあったが、なかなか愉快な滑降ができた。薬師や黒岳―赤牛の尾根等がアーベント・グリューエンに燃えているのを眺めながら上ノ岳の小屋へ帰って行った。小屋に着いた頃は、日は白山別山のところへ沈んで、月が薬師の北尾根の上に出ていた。
四日は強い風の音がするので、また荒れているのかと思って出てみると、青空ではないがよく山が見えた。東の空は朝焼けがしているので悪くなるなと思ったが、荒れたら黒部五郎の小屋へ避難することにして出発した。上ノ岳の三角標石は完全に露出していた。ズーと尾根通りスキーで行く。黒部側は中腹に広々とした平がつづいているので、風の特に強いときはその辺を巻いて行ったら楽に違いないと思った。黒部五郎岳の二つ手前に、小さい岩場があったので、そこでスキーを脱ぐ。アイゼンで歩いてもさほど困難ではなかったから、そのまま黒部五郎岳まで進んで行った。黒部五郎岳は登りも降りも平凡な尾根で雪庇もなかった。二五八〇メートル附近からスキーを履き、左側の谷へ降る。上の方は面白く辷ったが、思ったほど長い滑降はできなかった。黒部五郎の小屋は気持よく出ていた。寝具さえあったら一日や二日は泊ってスキーを楽しみたいと思った。黒部五郎側も、三俣蓮華側も木もまばらなすばらしい斜面ばかりだから、三俣蓮華の尾根へは夏道よりもズーと北側の斜面を登った。二五五〇メートルくらいでアイゼンを履く。雪庇もない緩い尾根だ。三俣蓮華の三角標石は露出していた。頂上を越してちょっと降ってからスキーを履く、三俣蓮華の小屋まで、二カ所ほど平らなところがあったが、思ったよりよく辷って愉快だった。小屋は完全に雪にかこまれて、棟の部分がちょっと出ているだけだった。窓を掘り出すのに鷲羽岳側が割合楽そうだったので、ピッケルとスキーを使ってそこを掘った。雪は相当緊っていたが、それでも壁の附近はやわらかだった。しかし掘ったところには窓はなかった。暗くなってきたし雪も降り出すので、新しいところを掘る元気もなく、壁を一尺五寸四角ほど破ってしまった。窓は皆東南側ばかりだった。しかも内から針金で引張ってあったので、結局破らねばならなかったと思う。破った窓は小さかったので、ルックザックは品物を少し出さぬと入らなかった。身体もやっと辷り込めるくらいで、出るときには困った。破ったところは、翌日窓を掘り出して後、できるだけ完全に修繕した。小屋の内には不思議に雪が入っていなかった。蒲団は棒に釣りかけてあった。その上には蓙が冠せてあった。それを引き下して使った。あたたかいことは上ノ岳の小屋等とは比較にならない。それに上ノ岳の小屋のように二階へ上下する不便がないだけでも楽だった。ただスコップ等を、小屋の屋根あたりに柱を立ててそれに掛けておいてくれるとよいと思った。その後、小屋の主人に、壁板を破ったこと等を話したとき、それを頼んではおいたが。
五日は終日雪が降った。六日は朝、霧が晴れてゆくのでよくなると思って出たが、何よりも空が曇っていたのが悪く、吹雪になってしまった。鷲羽岳の登りは雪のかたいところが多く、意外に時間がかかった。ワリモ岳は岩をさけて下を巻いたら楽だった。物凄い霧で方角もよくわからず、どんどん歩いているうち、赤岳も知らずに過ぎ黒岳の岩場にぶつかって驚いた。荷物を置いて黒岳の頂上へ往復する。一番初めの岩場がちょっと悪かった。ここは帰りに西側の雪の斜面を巻いてみて、雪の方が楽だと思った。それからは平凡な岩尾根だった。黒岳の頂上も過ぎ、もう一つ北の峰まで行った。そこに三角点があるから。けれども、例の毀れた柱が三本あるきりで、三角標石は見えなかった。それでもこんどの行程の最高峰だったので、ベルグ・ハイルを三唱した。引返してから、赤岳の東尾根をさがすのに相当迷った。やっと取付いたが、ここがまた、短いが、一番悪いところだった。東沢側は大したことはなかったが、ワリモ沢側は物凄かった。悪いところは荷物とスキーを別々にはこんだりして、随分時間を食った。全部尾根通しに東沢側ばかりを歩いた。悪場を過ぎてからも、上り下りが意外に悪く、かつ眺望がないため一層疲れた。風の非常に強いときなどは、スキーで東沢の谷へ降りて、ズーと下を巻いた方が楽に違いないと思った。野口五郎岳の三角標石は、完全に露出していた。頂上からちょっと縦走して行くと尾根にくぼんだところがある。そこでちょっと休むことにして、雪の孔を掘り、カッパを上に張って潜り込んだ。孔の中の温度を計ろうと思って寒暖計を出していたが、一度も計らずに紛失してしまった。孔の中はあたたかだったが、二時間ほどで
前へ
次へ
全59ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 文太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング