どうでしょう登りませんかと言って誘ってみたんです。すると兵治君は、登れるなら君、登って見給えと言いました。そうだ、ほんとに僕はずうずうしい考えをもっていた。一人できながら、他人の人等の助力によって山に登ろう等と考えたことはほんとに悪かった。一人で山に登るのもいい。だが、他のパーティの邪魔になったり、小屋の後片付けについて非難を受けたりするようでは、山に登る資格はない。またこれらのことが全部避け得られても、なお山麓の村人に心配をかけることのみはどうしても、避け得られないだろう。僕は劔にできるだけ近くまで行ってみたいと思ったので早月の方の写真をとってくると言って出かけました。そのとき、あの人等は御飯をたべませんか、お菓子はどうですかと言って下さいました。例の別山尾根の鞍部にスキーを置いて、軍隊劔に登りました。雪は少なくて柔かでしたから、偃松を掘り出して足場を作りました。平蔵の手前に、早月側は急な雪もついていないガラ場で、平蔵側は柔かい雪が非常に急に谷に落ちているちょっと悪いところがあります。ここで僕は前進ができなくなり、ようやく引返しました。あの人等は例の鞍部でスキーの練習をされていましたが、僕が下りていくと、急いで帰られました。小屋に入って水をもらい、ちょっと休みました。皆は、御飯がもう少しもなくて気の毒だと言っておられました。そのとき、松平氏がお菓子を出してあげないかと言われましたが、僕は有難うございます、いろいろご厄介になりましたと言ってお別れし、一人で、別山を越えて帰りました。このときは、この前ほど淋しくはありませんでした。それは劔には登れなかったが、行けるところまで行き、なすべきをなしたという気持からでしょう。しかしこれが最後のお別れだと知っていたら、どんなに僕が悪人であろうと、必ず声をあげて泣いたでしょう。
 四日の朝はどんよりと雲っていましたので、悪くなるなと思って急いで支度をし、室堂から出ました。窓のところは元のようにトタンを抑えつけ、その上に筵を掛け、できるだけ完全に閉めたと思います。立山と室堂へお辞儀をして下って行きました。天狗平を右下に見て高廻りし、弥陀ヶ原に斜滑降で下ります。窓に寄って、薬師から五色ヶ原を背景として温泉の谷を写真にとりました。弘法でちょっと休んですぐ下り、桑谷で迷っているうち、偶然にも誰かのシュプールを見いだし、ほっとしてそれに従って下りました。後で知ったのですがこれは同志社の児島氏のパーティのシュプールで、児島氏のパーティもちょっと迷って困っているとき、僕のシュプールを見つけて登られたそうです。ちょうどここで行き違いになったのです。エーホーと声をかけてみましたが、遠く離れているのか返事はありませんでした。この時分から雪が盛んに降りだしましたが、もう道を迷うこともなく呑気でした。材木坂はスキーを脱いで下りました。藤橋に着いたときは疲れて千垣まで歩く元気が出ませんでした。
 五日の朝はちょっとのあいだ雪が降っていました。そして材木坂のブナ林が新雪で綺麗に飾られていました。芦峅の佐伯暉光氏のところに寄って、小屋料を渡しました。去年の三月弘法に泊った分も一緒に。そして千垣に着いたのはお昼でした。
 幾度登ってみても、あの立山は変らない。だが、もう二度と再びあの人等にお会いすることができなくなったとは、たとい僅か数日の交りであったにしてもなんという悲しい思い出だろう。山で会った人と人との懐しさ!
 ああ今はなき先輩諸兄よ、スキーよ、山よ、シーハイル、シーハイル!
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厳冬の薬師岳から烏帽子岳へ

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昭和五年十二月三十日 雪 猪谷九・三〇 土十二・一〇 大多和二・五〇(零下一度)積雪一尺
十二月三十一日 晴 大多和八・三〇(零下三度) 大多和峠一二・〇〇積雪三尺 有峯三・〇〇積雪二尺 真川峠八・三〇 真川の小屋一〇・〇〇(零下一四度)
積雪四尺 昭和六年一月一日 曇 真川の小屋八・三〇(零下八度) 太郎平一・二〇(零下六度)上ノ岳の小屋二・三〇(零下七度)
一月二日 雪 滞在 八・〇〇(零下二度)一二・〇〇(零下五度)四・〇〇(零下六度)
一月三日 午後快晴 八・〇〇(零下一一度) 上ノ岳の小屋一一・三〇 薬師沢乗越一二・三〇 薬師岳二・五〇(零下十三度) 上ノ岳の小屋五・二〇(零下一〇度)
一月四日 曇 上ノ岳の小屋八・〇〇 黒部五郎岳一二・一〇(零下八度) 三俣蓮華岳四・五〇 三俣蓮華の小屋五・三〇(零下三度)
一月五日 雪 滞在 八・〇〇(零下二度)四・〇〇(零下一度)
一月六日 雪 三俣蓮華の小屋七・〇〇 鷲羽岳九・〇〇(零下七度) 黒岳一二・三〇 野口五郎岳六・三〇 避難地七・〇〇―九・〇〇 三ツ岳一二・〇〇烏帽子の小屋
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