真黒だったスキー靴も、寒さのため瞬く間に黄色く変り、足の指がズキズキと痛みだしたときはさすがに彼もたじたじとしました。けれど次の瞬間彼は吹きあげてくる西風へ向って猛然と突進して行きました。睫毛は凍り、顔は強ばり、手の指は感じがなくなり、呼吸もくるしい。けれどAはひるみませんでした。谷に迷い、尾根を登り、長いあいだ一生懸命に闘った。そしてやっと姥ヶ石の附近まで下ってきました。その頃から天候は恢復しだして雪は止むし、風もだんだん弱くなってきました。やがて追分の附近へきた頃は霧も晴れて、雪雲が頭の上を盛んに飛んでいるだけでした。そしてAは無事に弥陀ヶ原を横断し、弘法小屋へ着きました。ここで彼はコッヘルを使用して遅い昼食をし、大急ぎでまた下って行きました。桑谷ではちょっと道を間違えてうろうろし、また材木坂の急斜面に時間をくわれましたが、難なく藤橋へ下ることができました。やっと安心したAは藤橋ホテルで久し振りに満腹して、動くのも嫌なくらいでしたが、明日は会社へ出なければなりませんので、また勇をこして暗い夜道を急ぎました。
藤橋から少し下ったところは雪崩の跡で道が殊に悪くなっていました。芦峅でいろいろと小屋代の払いをすませて千垣についたときの彼は実に嬉しそうでした。千垣で電車を待つあいだ、Aが汽車の時間をしらべてみると南富山から富山駅へ行く富山鉄道がこんどの電車にうまく連絡しているので、いつも富山市電の遅いのに参っている彼は、これ幸いと直通切符を買って電車へ乗込みました。電車はなんらの事故もなく南富山へ着きました。早速Aは乗換えのため向い側の富山鉄道のプラットホームへ行きました。そこでAはしばらく待っていましたが、汽車がこないので変だなと思って改札口の方へ行って聞いてみると、「なんのことだ」汽車はつい先出たところだと言う。あまりのことに呆然としてしまった。なぜならこの次の富山発の汽車へ乗れなかったら、明日は会社に出ることができないからです。しかし「まだ時間はある。どうしてもその汽車に乗らなければならない」と思ったAは大あわてにあわてて富山市電に乗込みました。けれどもこの電車はそんなことはなんにも知らないので相変らず悠々としています。
Aは、このときほど富山市電の遅いということを、つくづく感じたことはありませんでした。彼は車掌に駅までもう何十分かかるかと何度も訊ねたほどです。
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