のは残念でした。扇ノ山を下ってすぐ北の山へ登ります。この山は私が肥前畑の人から聞いてブナノ木ノ尾という山だと言いましたが、これは間違いで実は煙がヅツコーと言うのだそうです。この山にブナ乱という鞍部があるからそれで間違ったのだろうと宿の人が言っていました。ここから一一〇三メートルまでは平坦な下りです。この独立標高点から右尾根を下り一〇一〇メートルくらいの山へ登ります。この山の東に九四六メートルの三角点のある草山があります。この三角点のある山を東ヶ丸といい、今登った一〇一〇メートルくらいの山を西ヶ丸というそうです。東ヶ丸から北側は畑ヶ平という草原で、ここらの人はいいスキー場だと言っていますが、傾斜がゆる過ぎます。私が東ヶ丸に着いたのは午後二時頃でした。畑ヶ平を辷って青下の上まで進み、ここでスキーをぬぎ村の人が木を切っていた尾根を下り、明日もお天気は大丈夫らしいのでまた菅原へ引返しました。
二十日、今日は三ツヶ谷へ登るため午前六時頃出発し、カンバに登って西側へ沢を二つ越し、取付いた尾根をまっすぐ進み、国境に出る五町くらい前でもう一つ西の沢へ入ってこれを登りました。今登ったところ、すなわち仏ノ尾と三ツヶ谷との中間の小山は石切りという山だそうです。この石切りを離れて三ツヶ谷に取付きます。ちょっと急ですが九時半に頂上へ着きました。菅原の人は三ツヶ谷を青ヶ丸と言っています。眺望は仏ノ尾ほど木にさえぎられないため一層雄大です。三ツヶ谷を下り石切から国境に沿って進みます。途中一〇八六メートルの小山へ登ります。これは池ヶ丸というのだそうです。十一時これを越して扇ノ山の方へだいぶ進み、三角点のある尾根、すなわち青山へ向って下る予定でしたが、間違って昨日登った石小屋という尾根へ出てしまいましたので、ズーと下って菅原が真下に見えるところまで進み、そこでスキーをぬいで村へ下りました。宿へ帰ったのは午後一時で昼食後四〇〇〇尺の山々と別れて岸田川を下りました。
五月の立山行
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十七日 一行大木、永楽両君と自分の三人。千垣駅午前九時十分、芦峅寺着九時四十分、出発十時四十分、藤橋十一時五十分着、昼食、午後一時出発、ブナ小屋五時弘法小屋着九時。
第二日 出発午前十一時、松尾上手午後一時、姥ヶ石二時着、三時二十分出発、室堂着六時半。
第三日 午前九時十分出発、一
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