、スキーが上手にならねば思うように山へは行けないことがわかりました。食糧も冬は寒いため夏のような物では駄目なことがあります。その後私は親切な村と別れて淋しく歩きつづけました。姫路スキーの連中は早く山を下って、一緒に自動車で帰ろうと言っていましたが、ついに途中でとまったのか、私の乗った午後八時五十二分の汽車には間に合いませんでした。
[#地から1字上げ](一九二八・三)
[#改ページ]

春山行

    三月の扇ノ山付近

 十八日午前二時半私は山陰線浜坂へ下車しました。ちょっと宅へよって五時頃ここを出発し、岸田川を遡り菅原というおしまいの村に着いたのは十時過ぎでした。お天気がよいのですぐ昼食をして、仏ノ尾へ向います。この山は菅原の南にある約一二三〇メートルくらいの山で、菅原のすぐ前のカンバという尾根を登って行きます。この尾根を登り平らになったところで、村の人が炭を焼いていますから、そこまではスキーをかついで楽に登ることができます。それから五町くらい行って西の方へ小さい沢を一つ越しすぐ取付いた尾根をまっすぐ登り、午後二時頃頂上へ着きました。私はこの山へは去年の五月、登れなかったので、これが初めてです。南から東へ三ツヶ谷、氷ノ山、鉢伏、滝川、妙見、蘇夫等が小代谷を距てて大きく聳えています。西の方は少し林にかくれますが、広い高原の向うに扇ノ山が雄大な尾根を左右に張っていて素敵です。二月頃はどこでもラッセルに苦しみますが、今は雪がしまっているので随分楽です。下りはよくころびましたが、それでも早く、カンバへ下ったのは三時頃でした。
 十九日、今日は扇ノ山へ登って、北尾根をズーと下の村へ下る予定で、午前七時に出発し、地図に道が書いてある、九一一メートルの三角点のある青山という尾根を途中まで登り、右の谷へ入ります。谷を上ってちょっと行ったところで、村の人が炭を焼いていますから、そこまではスキーをかついで行きました。そこから谷を行く予定でしたが、気味が悪いのですぐ右の尾根へ登ります。この尾根はズーと下の方へ延びた石小屋というなかなか急な尾根で、二〇〇メートルほど登るのに一時間半ほどかかりました。登り切ってから割合楽で、菅原の人が烏ヶ丸と言っている扇ノ山へ着いたのは十一時でした。頂上は木が少ないので、眺望はとても雄大です。ただ春霞のため伯耆《ほうき》の大山《だいせん》が見えなかった
前へ 次へ
全117ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 文太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング