十月十六日朝、大町行の電車の中からアルプスが見えます。常念山脈には雪があまり降っていないようですが、鹿島槍あたりより向うは新雪で真白です。私は柏矢町へ下車して、一ノ沢を登ります、道は道標があって安全です。両側の山は上から下まで紅葉していてとても素敵です。川岸は地図と違って絶壁のところは殆んどなく、主に川の北側を行きます。最後に道が二つになり河原に沿って行く方が安全のようです。私は尾根の方を行きましたが、ところどころ崩れていました。もうここらの木々は新雪で飾られています。登り切ったところに常念小屋があります。しかし錠がかけてあって入れません。常念頂上へ登って行く途中、松本二中の先生岸様に出会いました。鳥川の本沢を登られたのです。そして今日中に中房へ下ると言っておられました。常念の頂上には祠があります。その前に小さい地蔵様が置いてありました。雪がばらばらと降ってくるのみで、楽しみにしていた前の槍、穂高連峰をさえ見ることができぬのは残念でした。常念を下って岸様を追って行きます。道はたいていの山の西側を巻いています。二ノ俣に小屋は二カ所あって開け放しです。大天井岳の絶頂に登ってみましたが何も見えません。ただ三角点が雪の降るのに、知らぬ顔をしているばかりです。喜作新道の別れ道にきました。すると案外にも岸様の足跡が槍に向っています。さては槍に行く気になったのだなと思って、私も元気になり大急ぎで追って行きました。やっと西岳の小屋へきてみると岸様は薪を集めていました。よく話してみると道を間違えてここへきたとのことです。私がここへ着いたのは午後五時頃で小屋は開くようになっていましたし、茣蓙《ござ》や天幕等もあり、火も難なく焚けましたので、着物等を乾かし九時頃寝ました。夜は風も強く雪も少しずつ降っているらしい音がして不安でしたがよく寝られました。
 十七日午前五時過ぎ起きて外へ出てみると、ちょっとのあいだ雲がはれて雄大な槍、穂高連峰が見えましたし、雪も思ったより積っていないので大変嬉しかったです。岸様は一日で下山の予定で飯を持っていませんから、私の残りをおかゆにして一緒に食い、七時過ぎここを出発しました。途中空腹と雪に悩まされました。一つは私が今日から新しい靴を履きましたが、これが大変重いのも原因だったのでしょう。ようやく持っている菓子や水で元気をつけ、殺生小屋へ着いたときはほ
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