生徒で神戸徒歩会の藤田君もいました。室堂へ着いたのは午後五時で、おじさんとおばさんの二人が地獄谷の硫黄を掘っていました。おじさんは九月中はいると言っていました。四校生は飯をたき、私は弁当でしたが、同じように薪代八拾銭を取られました、皆で山や熊の話等をして大いに語り九時頃寝ました。連中はシュラフザックを持ってきていましたが、それでも寒く夜中に起きて火をたいたりしたと言っていました。私は夏より一着余分に服を持ってきましたので、割に温かでしたが手だけは少し寒かったです。
 二十五日午前三時頃私が起きますと連中もすぐ起きてきました。それから火をたき飯を食って四時半頃私一人で出発しました。雄山と浄土山との鞍部へ登った頃はもう全く明るくなっていました。荷物を置いて急坂を登ります。御来迎を気にして急ぎましたが、神社のところへ着くともう太陽は雲から半分出ていました。それはあまりいい御来迎ではなかったです。神社には夏きたときとは全く違って石が一ぱい詰めてありました。北アルプス槍、穂高よりこちらの山は割にはっきり見えましたが、白山、乗鞍、御嶽、駒連峰、南アルプス、富士等は薄黒く見えるのみで夏見たより貧弱でした。しかし別山中腹あたりの紅葉だけは素敵でした。雪はもうどこにも少なく浄土の雪渓が少し残っているだけです。雄山を下る途中四高の連中が登ってきました。私はそこでお別れをして浄土山へ登ります。ここの雪をかじってみましたがとても固く氷のようでした。五色ヶ原は眼下で雄大に見えます。縦走路は割に急な登り下りとなっています。鬼岳を下る途中エホーと声をかけてみますと案外にもザラ峠から返事がありました。大急ぎで下ってみると人夫が三人待っていましたので一緒に立山温泉まで行きました。途中両側の山が崩れて大絶壁になっているところがたくさんあります。立山温泉へ十一時頃着いて一浴し十一時半頃ここを出発しどんどん下って行きます。この道は内務省で広くするため大工事をやっています。藤橋へは午後三時過ぎ着きました。四高の連中はまっすぐ弥陀ヶ原を下ると言っていたので競争をしようと言ったら、駄目ですと言っていたが、やっぱり私の方が早かったのです。千垣へ着いたのは五時でした。それからあのいつも変らぬ富山市電に乗りました。もう今は立山にもたくさん雪が積ったことでしょう。一度雪の立山にも行きたいものです。

    新雪の槍ヶ
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