極め大沢小屋へ十三時間、第六日、扇沢―祖父―鹿島槍等を経て大黒へ十五時間露営、第七日、四ツ谷へ下山し自動車で大町へいたり、午後三時五十分発に乗ると神戸へ翌午前六時四十二分に着きます。予定ですから必ずとは言えませんが、だいたい私なら行ける自信があります。
[#地から1字上げ](一九二七・七)
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南アルプスをゆく

    赤石山脈・白鳳山脈縦走

 七月十日午前八時十分、私の乗った電車は伊那大島の駅に着いた。私は今朝塩尻で北アルプスを今また電車で中央アルプスを見たので、一時も早く南アルプスを見ようと天竜川の吊橋を渡って部奈へ急に登って行く。汽車の疲れと五人ほどの登山者が半時間くらい前に行ったと聞いて急ぐので、なかなか苦しい。登り切ると西駒連峯の雄大な裾野が一目に見え、今までの苦しみを忘れる。部奈から道は曲り曲って少しずつ登って行く、柄山へ行く別れ道に茶屋が二軒あり、登り切って小渋川の谷が見えるようになるとまた茶屋がある。ここから少し下って行くと白諏神社の鳥居があり、うまい水が出ている。また登って行って赤石岳がちょっとみえる辺で北条坂というを急に下ってしまい、天理教の堂のあるところで小渋川を渡ってトロ道に入り、小渋川に沿った山間の景色を味いつつ午後三時頃大河原に着いた。丸川旅館というに休んでいると、あの五人の登山者がやってきた。それは早大山岳部の連中で、部奈からずっとトロ道ばかりをきたのである。そして赤石岳から白峯へ行くと言っていたが、高山越えをして荒川岳と東岳へ往復し、赤石岳へ行かず白峯へ行ったのだった。少し遅いが昼飯を食い、記念品を買って四時頃ここを出発し、小渋陽へ七時半頃着いて一浴し伸びてしまった。ここのおじいさんは耳が遠くせがれに先立たれたと淋しそうに語っていた。
 十一日、今日もいいお天気だ。しかし小渋川はちょうど梅雨後で水量激増し徒歩ができぬ。そこで小渋陽から少し引返し高山越えをしなければならぬのだが、私は高山の中腹から広河原へ下る道があると聞いたのでそれを行くことにした。午前六時頃小渋陽を出発し、板屋谷を横切り高山の中腹を巻いて次の谷の土崩まできたが、この川を渡って向うの山へ取付く道がわからない。そこでこの川をまっすぐに下ることにした。後には道は土崩の上を通って向うの山から広河原へ下るのだと聞いた。この川は小渋本流に出合うはこんな上流でも徒
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