しも天候の少々悪い冬など山へ登ろうものなら「冬の山に単独で入るということは、天候の激変等の場合、自然、里の人々は特別に心配をすることになるであろうし、ときにはその人々は少なからぬ犠牲を払って登山者の足跡を追い辿らなければならないのである。かかる心配が幸いにして不必要に終ったとしても、かかる心配をかけたことに対しては登山者は責任を負わなければならない」などといって親切を売物に出し、酒代をゆすろうとするのではないか。
 我々はせまい道を通るとき、こっちが大手を振って進めば向うからくる人はそれをよけるが、こっちが小さくなって進めば向うは大手を振ってやってくることを知っている。
 また雪の一本道など歩いているとしばしばあることだが、向うからくる人よりこっちが多人数なら決して道をよけようとはしないだろう。外国にはパーティの一員がスリップした場合に、これを他の隊員が支持しえないような物凄い岩場から生れたアラインゲンガーがあるそうだが、かくの如き優秀なアラインゲンガーをつかまえてアラインゲーエンの危険をとく人もあるそうだ。だから単独行者よ、見解の相違せる人のいうことを気にかけるな。もしそれらが気にかかるなら単独行をやめよ。何故なら君はすでに単独行を横目で見るようになっているから。悪いと思いながら実行しているとすれば犯罪であり、良心の呵責を受けるだろうし、山も単独行も酒や煙草になっているから。良いと思ってやってこそ危険もなく、心配もなくますます進歩があるのだ。弱い者は虐待され、ほろぼされて行くであろう。強い者はますます強くなり、ますます栄えるであろう。
 単独行者よ強くなれ!
[#地から1字上げ](一九三四・一二)
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穂高にて

    A 北穂高南本尾根(昭和八・三・一五)

 ここは北穂高と涸沢岳の鞍部に近い北穂高よりの尾根の上で、一間ほどの壁が飛騨側からの風を防いでいるが、信州側は涸沢谷へ向って相当急傾斜に落ちているので、露営地としてはあまりよくないが仕方ない。
 それは今朝槍の肩を出て日のあるうちに穂高の小屋まで行く予定であったが、早朝すでに天候悪化の兆が見えていたので出足が鈍ったのと、大キレットの下りを間違えて飛騨側の急な谷へ迷いこんだり、北穂の頂きに近い堅い雪と岩と斜面では安全第一とルックザックを下してこれとアンザイレンしたため、ルックザックが途中の岩に
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