多くのワンダラーと同じく生来自然に親しみ、自然を対象とするスポーツへ入るように生れたのであろうが、なお一層臆病で、利己的に生れたに違いない。彼の臆病な心は先輩や案内に迷惑をかけることを恐れ、彼の利己心は足手まといの後輩を喜ばず、ついに心のおもむくがまま独りの山旅へと進んで行ったのではなかろうか。かくして彼は単独行へと入っていったのだが、彼の臆病な心は彼に僅かでも危険だと思われるところはさけさせ、石橋をもたたいて渡らせたのであろう。彼はどれほど長いあいだ平凡な道を歩きつづけてきたことか、また、どれほど多くの峠を越してきたことか。そして長い長い忍従の旅路を経てついに山の頂きへと登って行ったに違いない。すなわち彼こそは実に典型的なワンダラーの道を辿ったものであろう。かくの如く単独行者は夏の山から春―秋、冬へと一歩一歩確実に足場をふみかためて進み、いささかの飛躍をもなさない。故に飛躍のともなわないところの「単独行」こそ最も危険が少ないといえるのではないか。
つぎに私自身の冬山単独行をかえりみると、昭和三年二月の氷ノ山々群に始まり、翌四年一月夏沢温泉から八ヶ岳への登頂、つづいて冷泉小屋から乗鞍に登り、二月には一ノ俣の小屋から槍ヶ岳に、三月には弘法小屋から立山に登った。翌五年一月には室堂から立山に登頂後、軍隊劔まで往復、また槍ヶ岳に登頂後つづいて唐沢を登り穂高小屋まで往復(前年四月一日唐沢岳に登頂同二日桑田氏とともに奥穂高に登頂)二月には弘法から立山に登り、また奥穂高、唐沢岳および北穂高に登頂(十二月一日、一ノ沢を登り常念小屋から常念および大天井に登頂)翌六年一月、大多和から有峯―真川の奥の小屋を経て上ノ岳の小屋に登り、薬師岳登頂後、黒部五郎―三俣蓮華―鷲羽―黒岳―野口五郎―三ッ岳と縦走し烏帽子の小屋からブナ立尾根を下った。二月には鹿島村から冷沢西俣を登って鹿島槍に登頂し、つづいて畠山の小屋から蓮華岳および針ノ木岳に、猿倉スキー小屋から白馬岳に登頂。また室堂から長次郎谷を登って劔岳に登頂、つづいて立山にも登った。翌七年一月には、唐松日電小屋から五竜岳へ登頂、唐松―不帰岳の針金のあるところを下って第一鞍部より引返す。(つづいて猿倉から山友達二人とともに白馬岳へ登頂)二月には槍肩の小屋から槍ヶ岳登頂後南岳まで往復、双六岳、抜戸岳および笠ヶ岳へ往復、つづいて白馬大雪渓を登り杓子―槍
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