れにしても準備不足ということが第一であったに違いない。その中でもシールの張りつけが不完全であったこと。すなわちワックスの適当なものを持たなかったのが一番悪く、食糧の不足がその次である。防寒具の不足は最も恐ろしいことだが、雪の中で安全に眠れるほどに持つことは、スキーの下手な僕には無理なことだ。またスキー杖の半分折れたのを持って行ったことも悪かった。防水布の手袋は信州の山ではよいと思ったが、このときは降雪や転倒のため濡れて、殆んど防寒具にならなかった。その他取付けシールや吹雪用の頭布等を持たなかったのも欠点である。それから未知の山であったということはどうか――これは大して影響しなかったと思う。何故ならあんな天候の日には少々知っていても、未知のところと同じように迷うだろうから。
その他気づいたことは――吹雪の日にはコッヘルを使用することによって安全な食事をすることができる。冷い食糧は駄目だ。雪上で眠ることは危険だが、温かい物を食った後なら(極度に疲労していないなら)凍死するほど眠り込まないで、ある時期になれば気がつくだろう。二人以上いるなら交代に眠り、必ず一人はコッヘルで熱い飲物をこしらえながら起きていること。ひどい吹雪でなければ、眠るより歩いた方がよい(非常にゆっくりと、あるいは居眠りをしながら)。腰をおろして休むときには眠り込まぬようにコッヘル等を利用すること。以上のように終始コッヘルを利用することが一番よいと思う。もちろん疲労や睡眠不足を完全に補う薬があれば一番よいのだが、残念なことに僕はそれを知らない。
[#地から1字上げ](一九三三・一)
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冬富士単独行
細野へ行く山友達とともに、いつもの急行で神戸を出発した。この汽車は御殿場へ行く僕にはあまり有難くなかったが、友達の友情に引きずられたのだった。だいたい僕は岩登りも、スキーも下手なのでパーティの一員としては喜ばれず、やむなく一人で山へ行くのであって、別にむずかしいイデオロギーに立脚した単独登攀を好んでいるわけではない。だから汽車の中など、少々足手まといになっても、お互いの生命まで関係しないときは山友達もともにいることを許してくれる。
名古屋では乗換に間があったので、荷物をプラットホームにおいたまま駅前の通りをぶらりと歩いてやがて時間がきたので構内へ入ってみると、さっきおいた荷物が見えない。
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