けられたらしく、今は見あたらない。三ッヶ谷の手前の峰への登りは相当大きなものであった。傾斜のゆるいあいだは階段登りで進んだが、急なところはスキーをぬいで歩いた。空腹と睡眠不足がこたえてきたし、風陰で割合暖かだったので居眠りをしながら登った。
しかし、この峰の頂きに登った頃はまた物凄く吹雪いてきた。そこからちょっと進んだところで不注意にも雪庇をふみはずして小代谷側へ落ち、ひどく身体を叩き付けられた。高さは四メートルくらいのもので、その下はあまり急でなかったからちょっと流れただけで止った。しかしこの急な雪庇を登るのはつらかった。三ッヶ谷の頂上は長くなっているので、南の方から登って行くとどこが最高点だかわからない。それでも午後六時頃には頂上に立っていた。そして間もなく何度も通ったことのある道を東へ下って行った。ところどころ記憶にあるところが出てくるのでもう大丈夫だと思っていた。ところがそのコルへ下り着いたときは、夜がやってきて地形がまるでわからなくなった。そして記憶に無い長いゆるい斜面が出てきたとき、どうも変だ、間違って小代村へ下りつつあるようだ、と思うようになった。それは周囲の山がすべて濃霧に鎖《とざ》されて方角がわからないのと、快晴の日の登山は、自分の歩いた道をあまり頭に入れていないためである。なお疑いながら進むうち、右手の谷の木の無い真白い雪原が出てきた。僕はそれを見てあれは確かに小代村附近の田圃に違いないとこう思ってしまった。恐ろしい感違いだ。実はこの木の無いところは木地屋《きじや》という椀や杓子《しゃくし》等のほり物をする人が、雪の無いときやってきて木を切ってしまったところである。随分と下ってきたようだが間違ったのだから引返さねばならない。だが今はあまりにひどい吹雪になっている。恐らく尾根の上は一層物凄いに違いない。それで一時ここで雪の止むのを待った方がよいに違いないと思って、風陰を探しながら歩いていると、また雪庇をふみはずし、こんどはまっさかさまに投げ出されてぞっとした。僅か二メートルぐらいのものであったがひどくこたえた。早速雪庇の下を掘って入る。
僕はこんどのスキー行は三月も終りに近いことだから大して雪は降らないだろうし、現在積っている雪もこれまでの経験から、昼間だけはザラメ雪となるが朝夕はカリカリの雪で、靴のまま歩いても楽に違いないと信じていた。だから
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