と登って後、急な降りになっている。ここで左の大きな尾根に迷い込んだが、右側の尾根が本尾根であった。本尾根はちょっと痩せていたのでスキーをぬいだ。その頃から張りシートがまたまくれてきて登行が困難になった。取付シールを持たなかったことを後悔する。そのうえシールが不完全なため杖に無理がきて、半分折れていた片方の杖が完全に根本から折れて、リングがはずれてしまった。修繕するのはうるさいと思ったのでそのまま捨ててしまったが、リングの無い杖は殆んど役に立たない。この晩は霧が深くて方角もわからず、地図を見たり考えたりするのに時間を取られ、そのうえシールがまくれてゆるい登りでも後辷りするので、意外に道がはかどらなかった。
 二十一日の朝になったが、天候は少しもよくならない。ちょっと登りがあったので一〇五七メートルの峰だと思う。そこでまたコッヘルを使用して朝食をした。これで食糧は完全に無くなってしまった。しかし三ッヶ谷まではそう遠くはないし、あそこには何度も登ったことがあるので、どんなに霧が深くてもわけなく菅原村へ下れると思って安心していた。ところが事実はそうでなく晴天の日に登った経験はなんら用をなさなかった。朝食をしているとき、鉢伏山から氷ノ山につづく大平附近の尾根の下部が霧のまにまに隠見する。
 それがちょうど三ッヶ谷や扇ノ山附近に見えたので、つい小代谷へ下った尾根を国境尾根だと感違いしてだいぶ迷い廻った。もちろん最初にこの尾根は怪しいようだと思えば、磁石も出して見るし、よく考えても見るから間違いはないはずだが、たしかにあれは、国境尾根に違いないと思うとそれに気を取られて後戻りしていることさえ気がつかなかった。正午頃霧がはれてあたりの山もよく見えたし、鉢伏山へ登りつつある人々さえ見えたのでちょっと安心した。ここまでくると附近の森林は切り払われていて、小代谷側は真白い斜面が下までつづいている。
 かつて僕は雪の無いとき、この谷を登ってきて三ッヶ谷の頂上に立ったことがある。下の方にはちょっと田圃《たんぼ》があり、中腹の尨大な斜面には杉苗が疎《まば》らに植林されてあった。しかし頂上附近はやはりブナの大木とスズ竹の物凄い藪であったから三角標石を探すのに随分と苦心をした。そのとき氷ノ山や鉢伏山にも登って三角標石の横に一寸ぐらいの柱を記念にたてた。しかし氷ノ山にはその後測量台がたったので取りの
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