への登りは案外時間を食った。やはりここは夏のように横を巻いて、笠ヶ岳へつづく尾根へ出た方がよいだろう。双六の小屋は、今年は雪の少ないためか、あるいは風の吹き廻しによるものか、遠目ながら大部分露出して見えた。しかも近年相当に修繕を加えたらしく、新しい木の色がしていた。この附近はすばらしい斜面が多く、眺望も実によいところだから、スキーをしながら二、三日くらい遊んでみたいと思った。樅沢岳をくだってから抜戸岳《ぬけどだけ》へ取付くまでは、尾根が殊に広く、雪も思ったほどかたくないのでスキーを使えば面白そうである。途中二五八八・四メートル峰の南のコルから左俣谷へはすばらしい斜面がつづいていた。抜戸岳へ取付く雪の壁はちょっと凄く見えたが、かかってみれば案外簡単であった。そこは夏道のついているカール状の谷で、両側には岩の尾根が走っている。抜戸岳には左俣側へ向って、のぞくこともできないほど大きな雪庇がつづいている。しかし反対側の打込谷に向った斜面はゆるく、雪もかたいので案外楽であった。抜戸岳から笠ヶ岳までの尾根は平凡で、雪庇もあまり出ていなかった。この日は笠ヶ岳の小屋へ泊る予定だったので、四年前の夏の記憶をたどってあちこち探してみたが、どうもわからない。雪に埋れていたのかもしれないが、別石の囲いのしてある小屋跡らしいものもあったから、その後こわれてなくなったのだろうときめてしまった。笠ヶ岳の頂上には大きなケルンが三つほどあった。その一つの中に名前を書いた紙を記念に挾んでおいた。だいぶ引返して抜戸岳とのコルでコッヘルを使用して夕食をした。缶詰の牛肉と甘納豆で、殊に甘納豆はうまかった。そこからちょっと歩いたところでひょっと懐中電灯を取落したら、見る見る打込谷の方へ転び出して、大変な勢いで飛んで行ってしまった。やっと止ったことは止ったが、随分下の方なので、一時は捨てて行こうと思った。しかし真暗ではとても歩けないので、思い返して谷底の光をたよりに下って行った。幸い岩場もなく、斜面もあまり急ではなかったからよかったが、雪が柔くなってからもなおだいぶ転んでいて登りには相当時間を食った。抜戸岳を越して、例のカール状の谷を下りきってから、コッヘルを使ってレモン・ティをこしらえながらしばらく休んだ。そのとき懐中電灯が急にぱっと消えてしまった。電球の線が切れたようなので、新しいのと換えてみたがそれでもつ
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