いだに十二日の一日だけであった。狩野様は鹿島岳の奥が晴れると快晴になると言ったし、大町あたりの笛や鐘の音が聞えると天候は崩れるとも言った。鹿島岳へ入った凄い連中の話を聞いただけでも来た甲斐があった。
劒岳
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昭和六年二月二十七日 快晴 室堂午前七・〇〇 雷鳥沢八・〇〇 別山乗越一〇・〇〇 長次郎谷の下一〇・四〇 長次郎谷の上午後三・二〇 劒岳四・二七零下十三度 長次郎谷の上五・〇〇 長次郎谷の下六・一〇 別山乗越九・二〇 雷鳥沢一〇・〇〇 室堂一二・二〇
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室堂から雷鳥沢までは去年と同様、室堂の東側を下って谷伝いに行った。雷鳥沢は右側の尾根を登ったが、途中までうまく谷へ入らぬと雪のかたいところがあって困る。別山乗越の小屋はすばらしそうだが、芦峅の人夫を連れないと入れぬらしい。劒沢は傾斜はゆるし、雪はよし、スキーの下手な僕にも愉快に滑れた。三田平《みただいら》にはまた小さい小屋が建ててある。その東側にちょっと離れて六字塚が雪に半分ほど埋れていた。それが去年の正月大変お世話になった方々のものだと思うと、何かしら胸に迫って、身体が引き締ってきた。しかもその辺にはまるで雪崩の跡もなくほんとに不思議でならなかった。長次郎谷は雪崩でだいぶ荒されているが、傾斜はスキーに理想的で、谷も思ったより広い。しかしこの谷は日当りがよいので快晴の日は油断がならぬ。この日は午前中に小さいのが数カ所、主に八峰側から出ていた。しかも雪が随分重く不愉快だった。長次郎のコルには雪庇はなかったが風のために少し雪の窪みができていた。コルから上はちょっとのあいだなかなか急な斜面だった。それでも雪がやわらかだったからピッケルの必要はなかった。劒岳の頂上には例の如く朽木の柱が立っていたが、二尺ほどしか出ていなかった。僕は手帳の紙に消炭で名前を書いてそれにはさんでおいた。長次郎谷の下りはクラストの雪で面白くなかった。それなのに劒沢は相変らず粉雪状態だった。思うに風当りのよい谷は一日くらいの快晴ではまだ大丈夫らしい。劒沢の登りは長かった。長次郎谷の下までくらいコッヘルを持ってきておけばよかったろうと思った。別山乗越まではスキーで登ったが、一歩雷鳥沢へ入ると風で雪がとてもかたくなっていてアイゼンなしでは歩けなかった。また下の方は一日の快晴で雪がばりばりのク
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