道は馬車が通るほど広く、雪があってもときどき人が通うくらいで、今年はさほど悪いことはなかったが雪がウンと降ったときは雪崩の出る危険なところがたくさんある。しかしこの道は吹雪いても迷うこともなく、ラッセルも楽だし、途中ところどころに小屋があり、中ノ湯等は防寒具もあるうえ松本から一日でくるのも困難ではないようだから徳本峠よりズッと安心だ。中ノ湯の上の長い隧道を出てからは夏道は橋のないところがあって困ったが、ここも積雪期は夏道を避けて河原に下り、川床伝いに行けば安全らしい。狭い谷伝いを終って広々とした上高地に入ればもう心配はない。発電所の水の取入口があるので、ここへよって上高地の状態を聞く。積雪量は二尺くらいで、温度は最低摂氏氷点下十三度くらいだという。上高地温泉には下赤松の奥原吉次郎という爺さんが番をしていた。この爺さんは上高地に雪が降りだし、人々が山を下ってしまった後の長い長い冬のあいだを、一人で温泉の番をし、ときどき訊ねてくる登山者の世話をしているのだ。そして再び春がやってきて、上高地の雪も消え、人々がまた山へ登ってくる頃になると、温泉の裏の静かな山の中で、ただ一人木をきりながら暑い夏を過すのだという。
十三日はあまりひどい吹雪ではなかったが終日つづいて、一ノ俣まで行くには差支えないと思ったが、常さんや発電所の水の取入口の人が遊びにくるので、ついのびてしまった。炬燵にあたって爺さんに山の話をしてもらっていると、山にきたことを忘れてしまいそうだ。
上高地――一ノ俣
早朝星が出ていたので、爺さんに頼んで早く出発した。暗かったため、六百山の裾でちょっと迷ったし、明神池に行く橋を渡って、池の奥の方へ入ってしまい、一本橋を渡ったりした。それでも河原に出てからは風で雪が締っていて思ったより楽であった。横尾の出合から一ノ俣の小屋までは地図よりだいぶ長いようだが、ちょっと高廻りをしただけで、徒歩は一度もしなかったし、岩場のようなところも歩かなかった。四月にはこの徒歩と岩場とで二月の二倍の時間がかかった。一ノ俣の小屋は炊事場の戸が開いていたのでそこから入る。積雪量は四尺くらいで思ったより少ない。水は近いし、炊事道具は置いてあり、蒲団もたくさんあるし、雪に埋れて入れぬということもないらしいので冬期の使用小屋としては完全なように思う。スキーを練習するにはちょっと不便だが、
前へ
次へ
全117ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 文太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング