けたので、看護婦を休ませて交替しました。病人は余程その看護婦が気に入らなかったと見えて、すぐ帰して仕舞えと言います。私が暫く待てと言っても彼はきき入れようとはしません「イヤ、帰して下さい。病人の扱い方を知らぬのだもの、荒々しい人だ」斯んな事を言う内にも段々と息苦しく成るばかりです。
二十二日は未明より医師が来て注射。午後また注射。終日酸素吸入の連続。如何にしても眠れない。
二十三日、今日も朝から息苦しい。然し、顔や手の浮腫は漸々減退して、殆んど平生に復しました。これと同時に、脚や足の甲がむくむくと浮腫《むく》みを増して来ました。そして、病人は肝臓がはれ出して痛むと言います。これは医師が早くから気にしていたことで、その肝臓が痛み出しては、いよいよこれでお仕舞だと思いましたが、注射をしてからは少し痛みが楽に成りました。私は一度充分に眠るともっと楽になるだろうと思って、医師に相談してルミナールを二錠呑ませました。病人は暫くうつうつとしていましたが、其処へ弟がやって来ますと、早速その声をききつけて、直ぐ医者へ行って頓服をもらって来てくれと言います。弟が、今頃行っても医者は往診で不在だから駄目だと言っても「さがして呉れ――自転車で――処方箋を貰って来て呉れ――」と、止切れ止切れにせがみました。弟はやむを得ず「ようし」と引受けて立上りましたが、直ぐ台所へ廻って如何したらよいかと私に相談します。私は引受けた以上は病人のために医師を探してやるのが当然でもあり、またこれが最後となっては心残りだからと言って、弟を出してやりました。
陰うつな暫時が過ぎてゆきました。其処へ弟が汗ばんだ顔で帰って来て「基ちゃん、貰って来たぜ、市営住宅で探し当てた。サアお上り」と言って薬を差出しました。病人は飛び付くようにして水でそれを呑み下しました。然し最早や苦痛は少しも楽に成りません。病人は「如何したら良いんでしょう」と私に相談です。私は暫く考えていましたが、願わくば臨終正念を持たしてやりたいと思いまして「もうお前の息苦しさを助ける手当はこれで凡て仕尽してある。是迄しても楽にならぬでは仕方がない。然し、まだ悟りと言うものが残っている。若し幸にして悟れたら其の苦痛は無くなるだろう」と言いますと、病人は「フーン」と言って暫し瞑目していましたが、やがて「解りました。悟りました。私も男です。死ぬなら立派に死
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