、小壺や、皿の高臺のあたりの破片である。いかに凄い糸切であるか、いかに巧みな糸底であるか、いかなる大名物、名物の茶入と比較されても遜色はないと信ずるほどの「良さ」を看取さるゝであらう。
【線の認識】
 話が、つい糸底に落ちてしまつたが、實は形の全貌に及んでゐなかつた。が、然し私が改めて形に就て細かい説明を用ゐる必要はあるまい。線の運動に注意すればよく分ることである。口つくり、肩、肩から腰へ落るふくらみ、又は反り、高臺、この線の流れは器物を優しくも強くもみせる。又嚴肅にも瀟洒にもみせる。均齊の美、不均齊の中にも均齊のある美。これが姿の美であるが、此の姿を構成する線の美を認識することの程度に依つて、その人の鑑賞眼の標凖が定まる。
 すなはち、小さな形の茶わんでも大空を呑むやうな大きさを感ぜしめらるゝ線をもつ物もある。また大きな茶わんでも、ちま/\として如何にも窮屈な感じを與へらるゝ茶わんもある。そこに線の働きの大と小と、強と弱と、冷と熱とがある。
 線といつても、平面ではない、立體的にみた線の謂ひである。我々は形の美しさは線の認識如何に依つて深くも淺くもなる――その線の認識といふことは何であるか。かうなつてくると、やかましい議論になるが、結局は線の放射する暗示を受け入れるだけの素質と精神活動と知識の再生によるのではあるまいか。鑑賞するに個性が出てくる、從つて蒐集品にも個性が窺へるといふところに、其人々々の感覺と知識とが出てゐるのではあるまいか。
 われら萬金の價を以て、よき器物を購ひ得ないことは口惜しいとは思はないでいゝ。われらには割れてゐるこの土瓶の葢一個でも無限の興趣を以て味ひ得る材料を天が與へてくれてゐる。それは葢であらうと、貧乏徳利であらうと、油皿、鰊皿であらうと、土瓶、どんぶり、片口、小鉢の類であらうと、そこに時代から生れた姿があれば先づ鑑賞の第一歩が惠まれるのである。
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   釉

【釉】
 形が出來た上を裝飾するものは、文樣であり釉である。文樣は土器時代から繩文土器など名づけらるゝやうに色々の文樣がつけられてゐる。また文樣を瓦器に彩色したのもある。漢代の瓦器などに今日でも見受けることが出來る。しかし、やきものは釉に依つて先づ裝飾されてゐる。この釉《うはぐすり》の感じで、器物をわれらに親しませてくれる。釉は形の出來た上を更に美くしくしてくれて、器
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