は禪味が何處となく漂ふてゐる。茶わんに茶や飯を盛つて喫するといふことは人生の最大幸福である、といふ報捨の念があつた。從つて茶わんの形にも鉢の形にも其の思念が現はれてゐる。これが桃山期の豪華時代となり、徳川期の變遷する時代々々の相は必ず燒物にも反映してゐる。仁清とか、光悦とか、乾山とか、大きな人物は續々出てゐるが、結局は其の時代の生んだ人物である。時代に反逆したやうに見える人物でも究極は時代の流れに乘つてゐるのである。時代を知るといふこと即ち燒物を知ることであつて、燒物鑑賞上大切な條件である。
【やきものの壽命】
やきものは人間より壽命が長い。骨破微塵に割れても猶存在してゐる。人間と共に土中に葬られても猶生きてゐる。ことに傳世品に至つては時代々々を經て我々の前に現はれ、史的感興を伴つて、燒物の收めてある袋も、箱も、箱の文字も、箱の紐も、箱に貼つた一枚の紙片と雖も其の生れた時代を物語つてくれる。
【史的標本】
文化史料は傳世の燒物もたつぷり持つてゐるし、土中にある破片と雖も確實に保有してゐる。器の姿は時代を語り、器の質は生産地を語り、裝飾された文樣は時代の文化を語る――ひつくるめていへば一個の器は過去の文化、交通、民族的交渉――あらゆる方面を考察することの出來る史的標本となる。
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形
形――姿。鑑賞の上からいへば形が第一にくる。釉のない土器でも瓦器でも一番に形――姿に惹きつけられる。何よりも先づ形の美くしさが大切である。それは十萬金の茶入であつても、十錢の土瓶であつても。
【時代の生む線】
この形の線が矢張時代といふものを母胎にもつてゐる。時代が生む線である。たとへば一個の茶わんにしても、支那の宋代に生れ、日本の鎌倉期に渡つたもの、または夫れを摸作したもの、それが禪家喫茶の用になつてゐたのが、茶の湯に使はれ次第に庶民階級の日常雜器になつてきた。その推移をみると明かに初めは天目茶※[#「※」は「上が「夕+ふしづくり」+下が「皿」」、第3水準1−88−72、読みは「わん」、11−2]の形だつたのが變化していつて、時代々々の用途に適ふやうになつてゐる。一個の湯呑にしても今日のやうに湯呑として初めから造られたものかどうか分らない。向附だつたのが離れて筒茶わんとして使はれてゐるのがあるし、又狂言袴といはれる手のやうに筒形の象嵌青磁もあるが、初めから今日
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