織だけは着更《きか》えて絹縮《きぬちぢみ》の小紋の置形、束髪に結って、薄く目立たぬほどに白粉をしている。
「お仙ちゃん、どうぞもうかまわずにね、お客様じゃないんだから」
「え、何にもかまやしないことよ」
「かまいたくも、おかまい申されないのでございますからね」と媼さんは寂しげに笑う。
「でも、この間伺った時にゃ大層御馳走になってしまって……」と今さらに娘の縹致を眺めて、「本当に、お仙ちゃんはいつ見ても美しいわね」
「あら、厭な姉さん!」
「だって、本当なんだもの。束髪も気が変っていいのね」
「結いつけないから変よ」
媼さんが傍から、「お光さんこそいつ見ても奇麗でおいでなさるよね。一つは身飾《みだし》みがいいせいでもおありでしょうが、二三年前とちっともお変りなさいませんね」
「変らないことがあるものですか、商売が商売ですし、それに手は足りないし、装《なり》も振りもかまっちゃいられないんですもの、爺穢《じじむさ》くなるばかりですのさ」
「まあ、それで爺穢いのなら、お仙なぞもなるべく爺穢くさせたいものでございますね……あの、お仙やお前さっきの小袖を一走り届けておいでな、ついでに男物の方の寸法を聞いて来るように」
「は、じゃ行って来ましょう……姉さん、ゆっくり談していらっしゃいな、私じき行って来ますから」とお仙は立って行く。
格子戸の開閉《あけたて》静かに娘の出て行った後で、媼さんは一膝進めて、「どうでございましょう?」
「少しね、話が変って来ましてね」
「え、変って来ましたとは?」と気遣わしそうに対手を見つめる。
「始めの話じゃ恐ろしく急ぎのようでしたけど、今日の口振りで見ると、まず家でも持って、ちゃんと体も落ち着いてしまって、それからのことにしたいって……何だかどうも気の永い話なんですよ」
「ですが、家をお持ちなさるぐらいのことに、別に手間も日間も要らないじゃございませんか」
「それがなかなかそうは行かないんですって。何しろこれまで船に乗り通しで、陸《おか》で要る物と言っちゃ下駄一足持たないんでしょう、そんなんですから、当人で見るとまた、私たちの考えるようにゃ行かないらしいんですね」
「ですがねえ。私なぞの考えで見ると、何も家をお持ちなさるからって、暮に遣《つか》う煤掃《すすは》きの煤取りから、正月飾る鏡餅《かがみもち》のお三方《さんぼう》まで一度に買い調えなきゃならないというものじゃなし、お竈《へッつい》を据えて、長火鉢を置いて、一軒のお住居をなさるにむつかしいことも何もないと思いますがね」
「それに何《なん》なんでしょう、今はまだ少し星が悪いんでしょう。そんなことも言ってましたよ」
「じゃ、話だけでも決めておいていただいたら……」
「え、それは私も言ったんですがね、向うの言うのじゃ、決めておくのはいいが、お互いにまたどういう思いも寄らない故障が起らないとも限らないから、まあもう少しとにかく待ってくれって、そう言うものですからね」
「お光さん」と媼さんは改まって言った、「どうかね、遠慮なしに本当のことを言っておくんなましよね。ほかのこととは違って、御縁のないものならしかたがないのでございますから、向う様がお断りなさいましたからって、私はそれをどうこう決して思やしませんから」
「あれ、阿母さん、私ゃ本当《ほんと》のことを言ってるんですよ、全く向うの人はそう言ってるんですよ」
「つまりそれじゃ、体《てい》よくそう言ってお断りなさいましたんでしょう?」
「そんなことがあるもんですか」と言ったが、媼さんの顔を見るといかにも気の毒そうで、しばらく考えてから、「断ったのなら、写真も返しそうなものですけど、あれはもう少し借りときたいと言ってるんですから」
「もう少し借りときたいって?」媼さんも幾らか思い返したようで、「そうすると、お断りなすったわけでもありませんかね」
「そうですとも」と言って、お光はそっと帯の上を撫《な》でる。
「けれど、いつまで待ってくれとおっしゃるのだか、それも分らないのでしょうねえ。あれも来年は二十でございますからね、もう一だの二だのという声がかかった日にゃ、それこそ縁遠いのがなお縁遠くなりますからねえ」
「阿母さんもまあ! 何ぼ何だって、そんなに一年も二年も待たされてたまるもんですか。ですからね、向うの話は向うの話にしておいて、ほかにまた話がありゃそれも聞いて見て、ちっとでもいい方へ片づけてお上げなさりゃいいじゃありませんか」
「そんなにどこから話があるものですか」
「阿母さんはじきそんなことをお言いだけど、お仙ちゃんのようなあんないい娘《こ》を……誰だって欲しがるわ。私もまだほかにも心当りがあるから、その方へも談して見ましょう。今度のもそれは悪くはないけど何しろ船乗りという商売はあぶない商売ですからね、それにど
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