て座敷へ通りながら、「昨日あの、ちょいと端書を上げておきましたが……」
「あれがね、阿母さん、遅れてつい今し方着いたんですよ」
「まあ、そうですかよ。やっぱり字の書きようが拙《まず》いので、読めにくくってそれで遅れたんでございましょうね。それじゃお光さんにも読みづらかったでしょう、昔者の私が書いたのですからねえ」
「いいえ、そんなことはありませんよ。私にはよく分りましたけど、全くそういうわけで御返事を上げなかったんですから……さあどうぞお敷き下さい」
 お光は蓐《しとね》火鉢と気を利かして、茶に菓子に愛相よくもてなしながら、こないだ上った時にはいろいろ御馳走になったお礼や、その後一度伺おう伺おうと思いながら、手前にかまけてつい御無沙汰をしているお詫《わ》びなど述べ終るのを待って、媼さんは洋銀の細口の煙管《きせる》をポンと払《はた》き、煙をフッと通して、気忙しそうに膝を進める。
「実はね、お光さん、今日わざわざお邪魔に上りましたのもね、やっぱりその、こないだおいで下さいましたあの話でございますがね。どうでしょう、私はもとよりのこと、お仙もぜひお世話が願いたいとそう申しているのですが……向う様のお口振りはどんなでしょう?」
「向うですか……」と言って、お光は黙って考えている。
 媼さんは心もとなげに眺めていたが、一段声を低めて、「これはね、ここだけの話ですが――もっとも、お光さんは何もかも知っておいでなさることだから、お談しせずともだけれど、あれも来年はもう二十《はたち》でございますからね。それに御存じの通りの為体《ていたらく》で、一向|支度《したく》らしい支度もありませんし、おまけに私という厄介者《やっかいもの》まで附いているような始末で、正直なところ、今度のような話を取り逃した日には、滅多《めった》にもうそういう口はございませんからね……これはお光さんだけへの話ですけれど、私はどうか今度の話が纏《まと》まるように、一生懸命お不動様へ願がけしているくらいなんですよ」
「ほほほ、阿母さんもあまりそれは、安く自分で落し過ぎますよ。可哀そうにお仙ちゃんは、縹致《きりょう》だって気立てだってあの通り申し分ないんですもの、そりゃ行こうとなさりゃどんなところへでも……」
「いいえ、そんなことを思っていると大間違いです。こないだもね、お光さんがおいで下すった時に、何だかあれが煮えきらない様子でしたから、後で私がそう言って聞かしたことですよ。お前なんぞ年が若いから、もしね、人並みの顔や姿でとんだ自惚《うぬぼ》れでも持って、あの、口なくして玉の輿《こし》なんて草双紙にでもあるようなことを考えてるなら、それこそ大間違い! 妾手掛《めかけてか》けなら知らないこと、この世知辛い世に顔や縹致で女房を貰う者は、唐天竺《からてんじく》にだってありはしない。縹致よりは支度、支度よりは持参、嫁の年よりはまず親の身代を聞こうという代世界《よせかい》だもの、そんな自惚れなんぞ決してお持ちでないって、ねえ、そう言ったことですよ」
「だって、何ぼ今の代世界だって、阿母さんのようにそう一概に言ったものでもありませんよ。随分また縹致や気立てに惚れた縁組も、世間にないとは限りませんもの。阿母さんのように言ってしまった日には、まるで男女《おとこおんな》の情間《じょうあい》なんてものはなさそうですけど、今だって何じゃありませんか、惚れたのはれたのと、欲も得も忘れて一生懸命になる人もあるし、よくそんな話が新聞なぞにも出ているじゃありませんか」とお光は真剣になって弁駁《べんばく》する。
「ええ、それはそうですね。私なぞも新聞を見るたび、どうしてこんなことがと不思議に思うようなことがよくありますからね。それは広い世間ですから、いろいろなこともございますよね」と媼さんはいい加減にあしらって、例の洋銀の煙管《きせる》で一服吸ってから、「それで、何でしょうか、写真は向う様へお見せ下さいましたでしょうか?」
「ええ、それは見せました、こないだ私がお宅から帰ると、都合よくちょうど先の人が来合わせたものですから」
「それで、御覧なさいましてどんなお口振りでした?」
「別にその時は……何しろ急いでいたものですからね、とにかく借してくれってそのまま持って行きましたが……それは、お仙ちゃんのあの縹致ですから、あれを見て気に入らないってことはありますまいよ」とお光は気の乗らぬ笑顔をする。
「ですがね、あの写真は変に目が怖《こわ》く写っていますから……」
「そんなことはありゃしませんよ。けれど、ただね、ちとどうも若過ぎやしないかって……」
「ええ、私もそれを言わないことじゃなかったのですよ、あまりあれじゃはで作りで、どう見ても七か八に見えますもの。正真なところ、二月生まれの十九ですから……お光さんからもそう
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