が国古代の立派な建築物は宗教に関係あるものもないものも、その大きさだけから言っても侮りがたいものであった。数世紀の間不幸な火災を免れて来たわずかの建築物は、今なおその装飾の壮大華麗によって、人に畏敬《いけい》の念をおこさせる力がある。直径二尺から三尺、高さ三十尺から四十尺の巨柱は、複雑な腕木《うでぎ》の網状細工によって、斜めの瓦屋根《かわらやね》の重みにうなっている巨大な梁《はり》をささえていた。建築の材料や方法は、火に対しては弱いけれども地震には強いということがわかった。そしてわが国の気候によく適していた。法隆寺《ほうりゅうじ》の金堂《こんどう》や薬師寺《やくしじ》の塔は木造建築の耐久性を示す注目すべき実例である。これらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は惜しげもなく装飾を施されていた。十世紀にできた宇治《うじ》の鳳凰堂《ほうおうどう》には今もなお昔の壁画彫刻の遺物はもとより、丹精《たんせい》をこらした天蓋《てんがい》、金を蒔《ま》き鏡や真珠をちりばめた廟蓋《びょうがい》を見ることができる。後になって、日光や京都二条の城においては、アラビア式または
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