は、「グレイスの神よりは多く、ミューズの神よりは少ない。」という句を思い出させるような五人しかはいれないしくみの茶室本部と、茶器を持ち込む前に洗ってそろえておく控えの間(水屋《みずや》)と、客が茶室へはいれと呼ばれるまで待っている玄関(待合《まちあい》)と、待合と茶室を連絡している庭の小道(露地《ろじ》)とから成っている。茶室は見たところなんの印象も与えない。それは日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に用いられている材料は、清貧を思わせるようにできている。しかしこれはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって細工が施されているということを忘れてはならない。よい茶室は普通の邸宅以上に費用がかかる、というのはその細工はもちろんその材料の選択に多大の注意と綿密を要するから。実際茶人に用いられる大工は、職人の中でも特殊な、非常に立派な部類を成している。彼らの仕事は漆器家具匠の仕事にも劣らぬ精巧なものであるから。
 茶室はただに西洋のいずれの建築物とも異なるのみならず、日本そのものの古代建築とも著しい対照をなしている。わが国古代の立派な建築物は宗教に関係あるものもないものも、その大きさだけから言っても侮りがたいものであった。数世紀の間不幸な火災を免れて来たわずかの建築物は、今なおその装飾の壮大華麗によって、人に畏敬《いけい》の念をおこさせる力がある。直径二尺から三尺、高さ三十尺から四十尺の巨柱は、複雑な腕木《うでぎ》の網状細工によって、斜めの瓦屋根《かわらやね》の重みにうなっている巨大な梁《はり》をささえていた。建築の材料や方法は、火に対しては弱いけれども地震には強いということがわかった。そしてわが国の気候によく適していた。法隆寺《ほうりゅうじ》の金堂《こんどう》や薬師寺《やくしじ》の塔は木造建築の耐久性を示す注目すべき実例である。これらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は惜しげもなく装飾を施されていた。十世紀にできた宇治《うじ》の鳳凰堂《ほうおうどう》には今もなお昔の壁画彫刻の遺物はもとより、丹精《たんせい》をこらした天蓋《てんがい》、金を蒔《ま》き鏡や真珠をちりばめた廟蓋《びょうがい》を見ることができる。後になって、日光や京都二条の城においては、アラビア式または
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