りに偉い芸術家であって行ないよろしきにかなった王とはいえないが、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした。王みずから茶の二十四種についての論を書いて、そのうち、「白茶」を最も珍しい良質のものであるといって重んじている。
宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界に映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。永劫《えいごう》はこれただ瞬時――涅槃《ねはん》はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すという道教の考えが彼らのあらゆる考え方にしみ込んでいた。興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。かくのごとくして人は直ちに天に直面するようになった。新しい意味は次第に生の術にはいって来た。茶は風流な遊びではなくなって、自性了解《じしょうりょうげ》の一つの方法となって来た。王元之《おうげんし》は茶を称揚して、直言のごとく霊をあふらせ、その爽快《そうかい》な苦味は善言の余馨《よけい》を思わせると言った。蘇東坡《そとうば》は茶の清浄|無垢《むく》な力について、真に有徳の君子のごとく汚《けが》すことができないと書いている。仏教徒の間では、道教の教義を多く交じえた南方の禅宗が苦心|丹精《たんせい》の茶の儀式を組み立てた。僧らは菩提達磨《ぼだいだるま》の像の前に集まって、ただ一個の碗《わん》から聖餐《せいさん》のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。この禅の儀式こそはついに発達して十五世紀における日本の茶の湯となった。
不幸にして十三世紀|蒙古《もうこ》種族の突如として起こるにあい、元朝《げんちょう》の暴政によってシナはついに劫掠《こうりゃく》征服せられ、宋代《そうだい》文化の所産はことごとく破壊せらるるに至った。十七世紀の中葉に国家再興を企ててシナ本国から起こった明朝《みんちょう》は内紛のために悩まされ、次いで十八世紀、シナはふたたび北狄《ほくてき》満州人の支配するところとなった。風俗習慣は変じて昔日の面影もなくなった。粉茶は全く忘れられている。明の一|訓詁学者《くんこがくしゃ》は宋代典籍の一にあげてある茶筅《ちゃせん》の形状を思い起こ
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