醉ひたるにや、さきに甲板に上りたる年若き女、手巾もて口を掩ひながら、いと力なげに下り來たる。雨に惱む海棠、風に顰する女郎花、よその見る目もいたはし。男二人横臥せる間のしりへに、わづかに膝を容るゝばかりの餘地を求めて、顏を袖に埋めて俯す。その頻にせきあぐるを見て、かたへに腰かけたる男、船童をよびて、嘔くうつは持て來らしむ。器來たる。女すこしばかり嘔きしが、遂にえ堪へで、横臥せる男の脛を枕にして臥す。雨ます/\降りければ、甲板にありし人、みな下りしに、舟はやがて金谷につきぬ。上陸する人あるが中に、かの船暈に臥したる女、よろよろと立ちあがり、裾さばきもしなやかに、その姑とおぼしき人の手をとりて、船の出口に導く。そのさまいと苦しげなり。やがて歸り來りて、叔母とおぼしき人を伴ひてゆきしが、また獨り歸り來りて、席に伏して、いたく嘔く。あはれ、船に醉へる嫁の、わが體は立たざるに、なほ年老いたる姑と叔母との、船に醉はざるをもいたはりて、扶けゆく心の底も汲まれて、さきに、あらぬ男の脚を枕にするなど、船の醉とは云へ、たしなみなき女なりと思ひしに、いまこのさまを見て、ひそかに涙を墮しぬ。
 保田にて汽船を下
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